スコルピオンの恋まじない






悪夢がはじまったのはその、建物の壁が桃色に染まり、
道行く人々は誰も彼もが愛を囁きあう、悪魔のような島だった。
現在、通称恋島と呼ばれるようになったその島に、スコルピオンという男がやって来た。
彼は凄腕のまじない師で、紛争の耐えなかったその通称恋島に、数年前、
平和の使者として世界政府から送りこまれ、一晩で紛争を止めた。
そして、かの島には恋人が溢れた。男も女も老いも若きも、ハゲもメガネもフォーリンラブ。
争いだって?そんなこと、やってられないさ。だって俺たちは皆恋に夢中なんだから。
取材にやってきた共同通信の記者に、島民はみな、そんなふうに答えた。
報じられたそのニュースに世界中が恐怖に震えた。
恋って、おそろしい。
なぜなら新聞の一面には、反乱軍のリーダーと、国軍の総長が、
うっとりとお互いを見詰め合い腰に手を回した写真が載っていたのだ。





ゴーイングメリー号がその島―伝説の男スコルピオンが現在ショーを行っている、
に着いたのは、ちょうどクリスマスイブの前日、
恋人たちがいつにもまして激しく愛を語り合う日々のさなかのことだった。
夜のショーは7時からで、旅行客に人気のそれは、なかなか手にはいらないレアチケットだった。
なんせ戦争を止めた伝説の男のマジックショーだ。
「こんなもんがあ?」
コックがぺらぺらとチケットを振ってみせた。





前の晩、おいおいどうするよ、見てみろよこれ、と反乱軍のリーダーと国軍の総長の写真を指し、
最悪だろ、かわいそうだぜ、涙が出らあ、俺もまじないかけられたら、おまえに惚れちまうのかな、
おお、神よ、まだ見ぬレディたちよ、憐れな僕を許してください、とコックは剣士の肩を抱き、笑い、
剣士は、俺は巨乳が好きだ、こんなのは嫌だ、とコックの胸板を撫で、
やだ、これからゾロの傍に近寄らないようにしようっと、と航海士は胸元をカーディガンで隠した。
まじないなど皆信じていなかった。催眠術みたいなもんだろ?すぐ解けるよ、と鹿が言った。





7時になり、希代のまじない師スコルピオンがステージに現れた。
「こんばんは、みなさん」
そう言ってスコルピオンは手始めに、そのへんのボーイ2人を犬と鶏にしてみせた。
「あれは催眠術の基礎だね」
鹿が訳知り顔でぶどうジュースを飲んだ。
術により自分を女だと思い込んだ大男がシナを作り、あちこちで笑い声が上がる。
「さて、それではこのへんで、わたくしスコルピオン最大のまじない、皆さんお待ちかねの、
恋のまじないを披露したいと思います」
おおおおー、と客がどよめいた。
大男がシナを作り始めた時点で、おまえが同じことやったら最高キモイな、さっきの新鮮な生牡蠣も
あやうくゲエするところだったぜ、おまえが選ばれなくて良かったよ、うるせえクソコック、まあおまえがやれば喜ぶ
やつらはいるんだろうけどな、あっちやむこうのテーブルからあつーい視線を送ってくるむさ苦しい男たちが、
喜んでしかもチンポおっ立てんだろうよ、キモイ想像させんじゃねえぞ極悪グリーン野郎が、というように
始まっていた剣士とコックの諍いも、いままさに最高沸点を迎えるところだった。
「やんのかコラァ」
「上等じゃねえか、表出ろ」
立ち上がったふたりに、ステージに立つ、スコルピオンが言った。
「さあご覧ください皆さん、あんなに仲の悪いおふたりでも、
恋のまじないにかかれば、あら、不思議」
「なにが不思議だ」
「そうだ、死ね、不思議はその服だけにしとけ」
コックの指がスコルピオンの無駄に派手で奇妙で彼の巨漢をきちんと包み込むセーターを指し、
客がどっと笑った。
「まあまあお客様、所詮酒の席の余興、私が指を鳴らせばたちどころに元に戻る魔法です。
それとも、怖いのですか?もしかして、照れくさい?」
スコルピオンが剣士とコックをこしょこしょと煽った。
「怖えわけあるか」
「俺がなんでマリモに照れなきゃなんねえ。あ?デブ、言ってみろ」
やれるもんならやってみやがれ、みごとなハーモニーで剣士とコックが言い、
ちょろいもんだぜ、スコルピオンは温和な笑顔の裏で思った。





スコルピオンがまじないをかけ終わったそのときだった。
「覚悟・・!」
そのひとこえと共に、ひとりの男がステージへ乱入してきた。
太く長い剣がステージの明かりに光り、そして躊躇なくスコルピオンの巨漢を貫いた。
巨漢に突き刺した剣を抜きもせず、男は言った。
「俺の女房は、4年前おまえにこのにいちゃんたちとおなじようにまじないをかけられた。
隣のテーブルに座っていた若者と一緒にな。まじないが解けても女房は俺の知っていた女房じゃなかった。
あんたをステキだと思っていたのは悪い夢だったわ。わたしはこの人が好きになってしまったの。
好きだったのよ、テーブル越しに目が合ったその瞬間から。まじないはただのきっかけだったのよ。
ある日の昼間、その若い男といたベッドの上で女房は言ったよ。
俺は無言で銃を打ち抜いた。そして今日は出所の日だったのさ。
メリークリマス、スコルピオン、地獄でジングルベルを奏でろよ」
ベッタベタ、と狙撃手は思ったがツッコむ勇気はなかった。
ステージの上は酷い有様だった。
「なあ、ステキな腹巻だな、それ」
「そうか?・・いや、おまえのそれには負けるぜ、その眉毛、おまえのそれはなんてーたらいいか、その・・」
「やめろよ、照れんだろ」
鹿はスコルピオンの心臓を一生懸命マッサージしたけれど、ぴくりとも動かず、号泣した。
人を一人、目の前で死なせてしまったことよりも、これから先の恐怖を思うと涙が止まらなかった。
テーブルでは航海士がウイスキーをラッパのみし、考古学者は古文書で読んだ呪いの言葉を繰り返し呟いていた。
空島以来、航海士はひそかにコックを好きだった。命を顧みず自分を助けに来たコックは金髪の王子だった。
行け、とニヒルに笑った彼の横顔が忘れられない。それ以来魔法が解けないのだ。自分でもアホだとは思うけれど、
コックが笑うたびに胸がきゅんとしてたまに痛むのだ。考古学者だってそうだ。最近剣士といい感じで年甲斐もなく浮かれていた。
自分のことをあからさまに敵視していたために、なかなか次の段階へ移ってくれない剣士にじれて、もう私が押し倒しちゃおうかしら、
と思っていた矢先、こんな出来事が起こるなんて、私の恋には敵が多すぎる。色黒でわかりづらいが彼女はまさに顔面蒼白だった。
それなのに。勝手に死にやがってあのデブチンが。
ステージの上のコックが胸を押さえ苦しがり、彼女は呪いが効いたのかと思い立ち上がった。
「・・やべえよ、おまえのその目に見つめられてると、苦しくて仕方ねえ」
彼らはステージの上でもじもじと愛を語り合い、考古学者がぎりぎりと歯軋りをした。






夢ならよかった、と誰もが思ったけれど、次の朝、
キッチンで繰り広げられていたのは昨晩よりももっと強烈なラブシーンだった。
「おまえ、玉子焼き、好きだろ?」
「おまえの作ったもんならなんでもうめえよ」
「・・んもう、ばか」
腰に剣士の腕を巻きつけて、コックはあっちへいったりこっちへ行ったり忙しく立ち働いていた。
扉を一度開けて、もう一度閉めるということを、船長以外の誰もがやった。
航海士は意を決し、人、人、人、と手のひらに書いて飲み込んだ。
それって何の意味があるのかしら、という考古学者の声は、無視をした。
「おはようサンジくん」
「おはようございますナミさん、今日もお美しい!」
コックが言った途端、やきもちを焼いた剣士が航海士をすごい目で睨んだ。





剣士とコックは希代のまじない師に売り言葉に買い言葉でまじないをかけられて、
そのまじない師は恋に狂った憐れな男に刺されて死んだ。
スコルピオンのまじないは門外不出で、
だから剣士とコックの目を覚まさせるものはこの世のどこにも存在しない。
しかし、最悪の話はまだ続く。





ある手ごろな大きさの船の、手ごろなキッチンのテーブルに座り、
陰気な黒髪でカギ爪の男が、小さな妖精に向かってせつない顔をして言った。
「なあ、ティンカーベル、僕はいったいどうしたらいいと思う?」
「だから言ってるじゃない?愛は奪うものだって」
昨晩、希代のまじないショーを見に行き、彼は突然の恋に落ちた。
金髪で白い肌で、すらりとした長身に黒いスーツが良く映えていた。
彼が笑うたびに股間のあたりがむずむずとした。
そう、男はゴーイングメリー号一同の座ったテーブルのすぐ隣に座っていた、旅の海賊だった。
「恋なんて、いわばエゴとエゴのシーソーゲームだよ」
ぐりとぐらが言った。
「わたしたちだって、青い鳥を見つけるために旅に出たわ。こんな小さなわたしたちだって。
なのに船長さんはなにもしないの?」
チルチルが言ってミチルが頷いた。
「恋は素晴らしいものだよ、ハイホー!」
そう7人の小人が言って、3匹のヤギがメエと鳴いた。
「よし、君たちの言うとおりだ、愛は奪うものだ、エゴとエゴのシーソーゲームだ。
僕は3年前の失恋のとき、こう強がりを言ったんだ。もう恋なんてしないなんて言わないよ、ぜったい」
アルフォンスが、鎧の腕で、男の腕を取った。
「さすが、わたしたちの船長さん」
ティンカーベルがはやしたて、チルチルとミチルが踊り、メェー、ハイホー!と叫び声が上がった。
ぐりぐらぐりぐらぐるりぐら。







買出しに行くんなら付き合ってやろうか?という剣士の言葉をやんわり断って、
コックは市場までの道をほんにゃりとした気分で歩いていた。
剣士と四六時中一緒にいたいのは山々だけれど、一緒にいるとどうしても
剣士のことばかり考えてしまいそれしか見えなくて、料理のことなんてこれっぽっちも
考えられなくなってしまうので、市場に行くときはせめて、彼を置き去りにしなければ、
腐った野菜も間違って買ってしまいそうだった。
そりゃあいかん、なぜなら俺はオールブルーを見つける男だ、でもジジイ、
俺だけのオールブルーは、もう見つけちまったぜ、とコックは思った。
空は真っ青で、真っ白な雲はそこを穏やかに流れて行き、
3匹のヤギがコックの目の前を通り過ぎた。
あのしなやかな筋肉、強い眼差し、立派な性器、・・・やべーやべー、勃起しそうだ。
え?勃起?いやいやいやいやその前に、青い空、白い雲、
3匹のヤギ・・ヤギ、・・非常食、発見!
罠だとも知らず、コックはコックのかなしい性でもって、ヤギの後を追いかけた。






男の過去は壮絶だった。
幼き日に喪った母を錬金術によって蘇らそうと、禁断の錬金術「人体錬成」を試みた男は、
それに失敗し、自らの左足と、弟のアルフォンスを失ってしまった。けれど、なんとか自分の右腕を代償に
アルフォンスの魂を錬成し、鎧に定着させることに成功した。カギ爪と、義足という彼の特徴は、
その痛ましい過去によるものだ。聞くも涙、語るも涙。欠けた体のその部分に触れるたび、
鎧の腕に抱かれるたび、男は忘れないでいようと思うのだ。己の愚かさを。
そして、こんな僕でもいつか幸せになれるだろうか、と考える。男が陰気なのはそのせいだ。






メエーという声に、いまだ、とアルフォンスは思った。
ドキドキとする心臓を無理やり押さえ込み、こん棒を振り上げた。
ゴキ、とすごい音がして、嫌な感触を、鎧の腕に感じた。
頭に強い衝撃を感じ、コックはその場につっぷした。
「やだ、すごいしぶといわ、えいっ」
ティンカーベルが魔法の粉をかけ、
もうろうとした意識の中でコックはいとしの剣士の名前を呼んだ。
動けなくなったコックを、7人の小人がハイホーハイホーと船まで運び、
見張り役をチルチルとミチルが引き受け、役割を終えて帰ってきた皆に、
ぐりとぐらがカステラを振舞った。






胸騒ぎがする。
コックの身に何かおそろしいこと、―たとえばホモの八百屋に手を握られたり、
あげくにに付け狙われ、白菜やニンジンと共に納屋に監禁され、ナスを突っ込まれる、
そんなことが起こってやしないだろうか、と剣士は夕刻の風に身体を震わせた。
コックが出て行ったのは昼食の前で、夕飯は何が食べたい?おまえがいい、んもう、ばか、
というやり取りをしたのだ。夕飯前に帰ってこないはずがない。なのにコックはいまだに戻ってこない。
「キモイキモイキモイキモイキモイ、キモイ」
自分の目の前では航海士が昼からキモイの一点張りだ。
「るせえ、乳揉むぞ」
「わー!キモイ!」
「コックはどうした」
「捨てられたんじゃないの?」
「犯すぞコラ」
「船には帰ってきてもあんたのとこには帰ってこないと思う。だってキモイから」
でもいい加減遅いわね、と航海士が言い出したのは悪口のネタも尽きて太陽が水平線に沈んだ頃だった。
考古学者は規律の守れない人は船にいらないんじゃないかしらと言ったら私の立場が弱くなるだけ、
ああつまらない、ちょっと若くて色白だからってなによ、と思いながら一番星を見つめていた。
「サンジおせえなー」
船長が言って、剣士は、悪役の顔でヒーローよろしく船からさっそうと飛び降りた。
「コックは俺が連れて戻る。おまえらは飯でも食っとけ」
「食う飯がねえんだよ、サンジがいねえとよ」
狙撃手の言葉に賛同し、皆、剣士の後を着いて行く事にした。
なにせこのホモは目を離すとなにをやらかすかわからない上に方向音痴なのだ。
しかも今日はクリスマスイブだ。
コックを拉致って、そのまま連れ込み宿にでも泊まって来られたら、厄介だ。
はっきり言って、許せない、と航海士は思った。






コックはといえば、目を覚ましたとたん
目の前に飛び込んできた、船員の顔色の悪さに憤慨していた。
「てめえら!栄養のあるもんちゃんと食わねえから、そんな顔色になるんだよ。
いいか食べもんを馬鹿にすんじゃねえぞ、コラ、わかるか、コラ、力仕事の後にカステラ一個、
かー、眩暈がするぜ、そっちの男の子と女の子なんか、育ち盛りだろうが、ろくなもん食ってねえから、
こんなチビたおっさんばっかりになっちまうんだよ」
そう言って7人の小人を指差してコックは煙草に火を付けた。
「いいか栄養のあるもんを食え。栄養のあるもんを」
そこまで言ってから、で、なんでここにいんだっけ、俺、と船長に尋ねた。
「わわわわわわわが名はクック船長」
「ふうん、てめえか、船員こんな顔色で放っといて平気なのは、っておめえもすげえ顔色だな、
死にそうだぜ、いまにも、つーか死相出てんぜ、ユーウィルダイ、言い換えてみただけデス、なんつって」
コックに声をかけられて、男は舞い上がった。
肌が白い、目の前で見るとなおさら白い。そしてきめが細かい。
むしろきめってなに。見えない。
毛穴ってなに。存在してない。
金髪は一本一本丁寧にキューティクルに包まれて、天使の輪が光っている。
瞬きをするたびに淡いまつげがばさばさいう。煙草を咥える唇は、チェリーのように真っ赤だった。
「なーんかわたしは好みじゃないなー」
ティンカーベルが耳元で言ったのも、男の耳には入ってなかった。
「コック・・・・・・・・・!」
切羽詰ったような、けれどコックにとっていとしい彼の声が聞こえたのはそのときだった。
バン、と扉の開け放たれた部屋に鬼が入ってきた。
ひっ、と短いそのセリフも、言い終わらないうちに、
船長は腹を切られ、はらわたを引きずり出され、それで首を絞められた。
7人の小人は恐怖のあまりちびり、ティンカーベルはすたこらさっさとネバーランドに帰ることにして、
大きな手袋の中でびくびくとしながらぐりとぐらはその様子を観察し、チルチルとミチルは剣士に命乞いをした。
「おおおおおおおおーい、クソ剣士・・・」
鬼が振り向き、なんだ、と地を這う声で言う。
「おまえはなんだ、辻斬りか」
「無事か、コック」
「無事もなにも」
「ケツは無事か」
「無事もなにも」
「まだ未遂か」
「未遂もなにも」
クック船長はなにもしていない。
ただ、恋をしただけ。
恋はおそろしい。
元凶はすべてスコルピオン、けれど、彼はもういない。
はらわたを握った手で、コックを掻き抱き、剣士は言った。
「世界一、宇宙一お前が好きだ!」
「俺は俺が一番好き!」
「コック!」
「ゾロォ・・!」
固く、熱く、深く、ふたりは抱き合った。
ナイトメア・ビフォア・クリスマス。
珍しいもの好きな船長が、悲しみにくれるアルフォンスをスカウトしているその脇で、
航海士が拳を握り締め唇を噛み、スコルピオンが死ぬ前にどうせなら、
この煮ても焼いても食えない小娘と恋まじないでもかけてくれれば良かったんだわ、
そうすればこんなにせつない思いはせずにすんだもの、と考古学者はこっそり泣いた。
こわくない、こわくない、と泣き喚く鹿を抱き、狙撃手は、桃色の帽子を撫でた。





おわり