物は壊れる、人は死ぬ  三つ数えて、眼をつぶれ

         

         

         

         

あ、と思って、思ったら声が出た。

雨が降っていてそこらには血の匂い。

なんで銃なんか持ってんだよ、と離れる一瞬に耳元で言われた。

軸足を痛めてしまったせいで足がうまく使えないのだ。

言いたくないからそのことは言わなかった。

けれど耳元の声で昨日のことを思い出して指先が痺れた。

痺れた、でも、それどころではないのだ、と自分に言い聞かせる。

血の匂いが充満するなかで雨に打たれながらこんな映画を昔見た、と思った。

見たと思って、さっきの声にもう一度指先が痺れて、思い出した。

だから声が出た。あ。

思い出したとたん、自分の体から甘い匂いが立ち上っているような気分になり

それを雨が拭い去ってくれることを願う。

急所は外す。

生かすこと、それが料理人である自分の、矛盾するような、ルール。

背中の剣は簡単に命を奪って行く。迷いなく、あっさりと。

たしかに違う、と思った。

生き方が、そして想いも。

かわいそうに。

殺さなければ生きて行けない、そうして道をつくって行く、この男をかわいそうだ、と思う。

そしてこんな自分を愛してしまったこの男は憐れだとすら思う。

初めて抱かれた。

抱かれる、というのが良かったのか悪かったのかわからない。

抱けばなにかが違っただろうか。

けれどもそれはしないだろうと、思う。出来ないだろうとも。

それでもこの男は言えばきっとおとなしく組み敷かれただろう、そんな気がする。

そんなふうに自分を、きっとたしかに愛しているのだろう男を、かわいそうだ、と思う。

泣きたくなった。

自分の一体なにがいいと言うのだろう、この男は。

ケーキは好きではないと言った。

好きではないと言いながらテーブルの上の皿からクリームを掬い取り

閉じたままのアナへと塗り込む、そんな真似をしてみせた。

嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌。

この男にこんなことをさせている自分が嫌だと思って、そして泣きたくなった。

明日はもとどおりだろうか。

誰も気づかず、そんなふうに、いつもどおりの自分達でいられるだろうか。

耐え切れず目を閉じた。

そして、瞼の裏に浮かぶ黄色い光を追った。

朝は変わらずやってきた。

気づくと立っているのはふたりだけで、雨音がひどくうるさかった。

離れた場所に立つ男がなにかを言っている。

聞こえない、と合図をした。

それでもなにかを言い続ける。

聞こえない、大声で言ったけれど、雨音が強すぎた。

離れた場所で男はまだなにかを言い続ける。

こんなふうだ、と思った。

いつもこんなふうだ。

なにかが変わるかと思っていた。

変わらない。

縮まらないし伝わらない、邪魔をされる。

舌の先にクリームの味がして発狂したい、と強く思う。

大声で笑い出してしまいたかった。

変わらない、けれど、変わってしまった。

雨が視界を閉ざし、それに従うように目を閉じる。

地面についた膝から染み込んできたひどく拙い雨の感触に

もう少し高いところに行ければ、と思った。

高いところなら見えるはずなのだ。

変わって行くものごとの全てがはっきりと。

この想いが熱を伴わないものであったなら、と思う。

熱を伴わないものであったなら尊いものだと、純粋で綺麗なものだと、

そうやって追い続ける光を掴むことが出来ただろうかと。

雨が背中を打つ。

息をひとつ吐いて目を開けると、男が血のにじんだシャツを着て、立っていた。

「ゾロ。」

名前を呼ぶと驚くほどの性急さで口付けられた。

なんで。

かわいそうだよ、おまえ。

血で汚れて、業を背負って、かわいそうだ、かわいそうだよ、なんで―

指先が痺れてしまっていて血に濡れたシャツに縋りつくことしか出来なかった。

雨はますます強くなり、その間も舌は口の中を這いずり回る。

痛む足を少しだけ気にした。

冷たい雨のなかの高い体温がかなしかった。

頬を伝う雨はまるで涙のように見えるだろうか。

指先から痺れは体を回り、唇の形で言葉を繋いだ。

間違いなくはっきりと、それは愛の言葉で、

熱に浮かされるように、もう一度唇を動かした。

雨ではなく頬を伝ったものが行き場をなくし、縋るように名前を呼んだ。

目を開けてもまだ雨は視界を閉ざし、しとどに濡れたまま

ふたりきり世界に取り残されてしまった。

         

FIN.