うたかたの日々 ゾロが地図を眺めるその肩越しにサンジがそれを眺める。 まるで恋人同士みたいじゃねえか、と思いながら、武器の開発に勤しんでいるとナミがやって来た。 グランドラインがこんなに平和で穏やかでいいのだろうか、本当にここはやばい海だったのか、 誰かのウソが広まってしかも尾ひれがついてしまっただけなんじゃないかと疑わしくなるような天候の続く、午後の一日。 「なーに?そんな熱心に地図なんて見ちゃって。っていうか、そこの緑のあんた、地図見たって無駄よ、無駄。」 「あ、ナミさん。お茶でもいかがですか?」 サンジにはきっとナミ感知装置が付いていると思っていたけれどどうやら違うらしい。 けれど声をかけられるまでナミに気付かないというのはなんだかとってもサンジらしくない。 サンジはナミに声をかけながらもその足の間にゾロをはさみこんで、地図に描かれる島についてゾロになにかを言っている。 女好きが聞いて呆れる。 「いらないわ。喉が乾いてるわけじゃないの。で、なに?なんかあるの?その島。」 キッチンのテーブルの上には紅茶の入ったボールが乗っている。 紅茶は急激に冷やすと色が濁ってしまうので、そうやって冷ましてから、 氷を入れてアイスティーにする、とサンジがそうゾロに言っていたのをさきほど聞いたので、そうなのだろう、 ボールに紅茶はたっぷりと綺麗な色で、船の揺れにあわせて揺れる。 チョッパーは自分の横で、大口を開けていびきをかく。 夢見ていた海賊像と大きくずれている気がするのは俺の気のせいか。 「宝島の地図。」 顔を上げて、サンジは笑って言う。 丸窓から光はキッチンに溢れ、それは手元に注ぎ、スパナをきらりとさせる。 「ホンモノ?」 ナミの剥き出しの肩がサンジの肩に当たり、 ん、ご、チョッパーはあやしげな寝息を立て、尻の下の波の揺れが心地よい。 「こないだの海賊から奪ったもののなかから出てきたやつ。」 「金銀財宝ざっくざくかしら、ロマンチックね。」 「おまえのロマンチック感はぜってえおかしい。」 「あんたの口からロマンチックって単語が出てくるのもおかしいわ。」 「ここに王国創るとしたらどこになにを、って話してたんだ。」 「ハーレム?」 「違うよ。とりあえず、あらゆる食材は時給自足出来るようにしたいな、とか。」 「夢がないわ。」 「夢があっても食い物がなかったら生きていけないだろ。」 「あんた、変なとこ現実的で、嫌。」 「こんな、夢追っかけて腹にでかい傷つくるような馬鹿より、 こういう男に着いてったほうが得策だよ、ナミさん。」 「夢があっても金がないじゃない、こいつの場合。」 「金は稼ぐ。狩るし。」 「プロポーズみたいなこと言ってんじゃねえよ、マリモマン。」 「一日3首として、最低3千万×3。成金ていうのかしら、そういうの。」 「とらぬたぬきの皮算用って知ってる?」 「眠い。」 「マリモマン、おまえ、専用の昼寝部屋でっかいの作ってやるから、嫁に来い。」 サンジの足の間でゾロは目をしばたかせ、その膝に顔を摩り付ける。 チョッパーの腹は穏やかに上下する。 「すでに自分のものになってるのね、その島。」 「それにだ、食いたいもん言ってみろ、使用人が速攻で届けてくれるの使って、毎日がパーティーだ。料理が。」 「とりあえず自分のセールスポイントは熟知してるんだ。」 「どこまでも寝返りうてるようなベッド買ってやるし。やばいぞ、でんぐり返しし放題。」 「お金はどうするの?」 「狩る。」 もわもわ、と頼りのない声でゾロが言う。 いま海賊船に襲われたらまちがいなく全滅だ。 むしろおまえは狩られる側だろ。 自覚ねえのかよ。 「狩るばっかだな、おまえ。」 「精一杯のセールスポイントなのよ。」 ふいに3人の声が小さくなって、そして、笑う声になる。 「くじらのオーロラ煮とか。」 「食いてえのか。」 「なんでオーロラなのかしら。」 「オーロラくらいにめずらしいから。くじらがね。」 「本当?」 「適当。」 「こいつの言うこと9割はでたらめだろ。」 足の間のゾロが、サンジの腹に頭をぶつけて言う。 瞼なんて半分落ちかけている。 「あら、ウソップには負けるんじゃない?」 「なんでそこで俺なんだよ。」 「あら、いたの。」 「いたよ。」 「いたさ。」 「うん、いた、いた。」 「そういえばルフィが。」 「いないわね。」 「じゃなくて、くじらの噴水に乗って、飛び上がってみたい、って言ってた。」 「かわいー。」 「だからおまえら、オーロラ煮の話は船長の前ではすんな。」 「あのゴムがそこまで繊細かね。」 「泣きながら食べるんじゃない?」 「ぐじらー、ってか。」 「で、その船長はどこ行った?」 「伸びてんじゃない?」 「今日の俺は昨日の俺より、もっと伸びる、ってな。」 「かーっこいい。」 「さすがキャップ。」 好き勝手に言い出すやつらを尻目に、細かい作業をするため、ゴーグルをかけた。 まわりの色が少し、鈍る。 それでもナミのオレンジの髪は鮮やかだ。 緑の頭はうつらうつらと船を漕ぎ、黄色の頭は緑色を指差して、オレンジ色になにかを耳打ちする。 くすくす、と小さく笑い声、チョッパーはいま歯軋りなどをした。 いいえー、星のー、ダイヤも海に眠る真珠もー。 鼻歌を歌い、手を動かす。 きっとあなたのキスほどー、きらめくはずなーいものー。 くすくす笑い声は続く。 眠っていたはずのゾロがなにかを言った。 笑い声は大きくなる。 「ぜったいそうだろ。」 「ダイヤも真珠も、好きだわ。」 「どっちも似合うよ。」 サンジがナミの髪を結い、手鏡を覗き込む横顔のナミは、うなじが焼けちゃうかしら、と ひとりごとのように言って、ピンを咥えるサンジは、聞き取りにくい返事を返す。 ゾロはその足元でふたたび船を漕ぐ。 髪結いの亭主になりたいな、そう言うサンジの声はいつもよりのんびりとしている。 「サンジくんには向いていないわよ。そこの緑の人のがぴったりよ。」 器用にサンジはナミの髪を結い上げる。 ゴーグル越しの色の鈍った風景の中で、光を受けてナミは横顔で微笑み、サンジの手はオレンジの髪にピンを刺す。 「出来た。」 「んー、ありがと。」 髪を上げたナミを見て、満足そうに、サンジは微笑む。 おまえらほんとに海賊か。 「よし。」 「お、鼻、作業終了か。」 ガコガコ氷のぶつかる音が、最近鍵付きになった冷蔵庫からする。 「無駄なもの作ってんじゃないわよー。宴会芸は卒業しなさいよー。」 グラスに氷、そこへ綺麗な色の紅茶、その上には輪切りのオレンジとミント。 「よし、じゃあ、おまえに1番先にお見舞いしてやろう。」 「やめてよ。」 「やめとけ、鼻、あとが怖えぞ。」 「くらえ。」 引き金を引くと、出てくるのはシャボン。 キッチンの木漏れ日に、ふわふわと浮かぶ。 「きっれーい。」 オレンジの髪や、黒いスーツや、船を漕ぐ男の鼻先へとゆるくそれは飛んでいく。 知らぬ間の飽和、そしてそれはあるとき、ぷつん、と弾けて飛ぶ。 泡沫。 「なんの武器になんだよ。」 「なごむだろ。」 「なごませてどうすんのよ。」 「貸せよ。」 アイスティーのグラスと交換に差し出すと、サンジはナミに向かってそれを撃つ。 笑いながらナミは逃げる。 そのあとをシャボンが追う。 走るナミが俺の背後に隠れるので、シャボンは俺の鼻に刺さって、弾ける。 「鼻!」 「鼻に!」 サンジが腹を抱えて体を折る。 背後でナミの笑い声。 輪切りのオレンジを摘んで食った。 ときおりゾロが、薄目を開けて、こちらを見る。 あいつがいくら眠っても寝たりないと不毛なことを言うのは、こうして眠りがひどく浅いからだ、と思ってても言わない。 夢のまにまに、シャボン玉の風景を見るくらい、きっと許される。 だってここはグランドラインだ。 悲劇も喜劇もすべて、ここでは見ることが可能なのだ。 それに、こんなのは泡だ。 あわられてはすぐ消える。 「でもさ、くじらの噴水、ちょっといいよな。」 「食べるのはやめておきましょう、キャプテンのために。」 「肉とってからチョッパーに縫ってもらったら?」 「それってやさしいの?」 コックの顔をして、平気でひどいことを言うサンジは キッチンのそこかしこにシャボンを飛ばしてはまぶしそうに目を細める。 ナミは俺の髪をみつあみにして遊ぶ。 恋人よー、君を忘れてー、変わってく僕を許してー。 チョッパーはいまだ深く、寝息をたてる。 毎日愉快に過ごす街角ー、僕はー僕は帰れないー。 「カヤちゃんかわいそー。」 「ひでえな、鼻。」 「いい人だと思ってたのに。」 「だまされたー。」 好き勝手なことを言っては、彼らが笑う。 紅茶は甘い味がする。 揺れて舞うシャボンは七色に光る。 おわり