リブ・ラブ・ドライブ

 

 

 

 

 

夏休みがやってきて、あたしたちは街を逃げ出すように抜け出してゆく。

オープンカーで、サングラスで、猛スピードで、言葉は風にさらわれてゆく、つぎつぎに。

助手席の彼がカメラのレンズ越しにあたしを見て言った。

「ナミさん、笑って。」

気を抜いてしまえば夏はあっという間に逃げて行く。

追いかけるようにあたしたちは西を目指す。

飛び飛びの景色、あたしたちの笑い声、青い空の下、

青春映画を気取って、素晴らしい出来事を求めて、あたしたちは西を目指す。

恋は素晴らしい。

景色の色を変える。

ほらこんなふうに、と思いながらどんどん置き去りにされてゆく空の青に手を伸ばした。

運転席のあいつが、カーラジオのスイッチを入れた。

メロディーも風に乗っては空へと飛んで行く。ソーダ水の空へ。

彼の首筋から香るのは日焼け止めの匂い。

さっきその首筋にキスをしてあいつが、変な味がする、と顔をしかめていたその匂いがする。

早く、早く、夏が逃げてしまわないそのうちに。

太陽が照らす、太陽が暴く、夏の恋の、姿かたち。

カーステレオから流れるスイート・ソウル・ミュージック。

パナマ帽を押さえ彼がはしゃいで叫ぶ。

もっと、もっと、もっと、速くだ。

カメラの中に閉じ込められたあたしの笑顔。

夏も、恋も、すべてを閉じ込めて逃げ出そう。

退屈な街から猛スピードで。

早く、早く。

追ってくる影を振り切るようなそのスピードで、官能的な出来事へと。

じっとしているなんてまるであたしたちの性に合わない。

逃げ出そう、ここではないどこかまで、夏が行ってしまわないうちに。

意地悪なものたちに囚われてしまわないうちに。

スイート・ソウル・ミュージック、ハミングする彼の口笛、夏は色を濃くしてあたしたちを包む。

強い風にきれぎれに聞こえてくる彼のハミング。加速して行く車のスピード。

彼は行為の後いつも、あたしに裸のままでいさせたがる。

見ていたいし触れていたいんだ、と彼は言う。

それもきっとほんとうのことだろう。けれど知っている。

彼は自分が男であることをひどくかなしがっている。

あいつを好きで仕方のない心と、自分の持つその体と、

想いの隙間に入り込んで膝を抱えるのだ。

気休めにしかならなくても、精一杯の気持ちを込めて、

愛を込めた言葉を言ってしまいたくなるような彼の心。

彼には現実感が欠如している。

現実を、いまを、ホントウだと感じることの出来ない彼。

このスピードも、空も、乾いた暑い空気も、愛も、彼はどこかの夢だと思っている。

そしてあたしたちは彼の夢に閉じ込められてしまう。

きれいな夢のなかの、とびきりの夏に。

カーステレオから聞こえてくるのは、ロック・ミュージック。

ロード・ムーヴィーの歌詞を歌い上げる男の掠れた声が空に舞い上がる。

流れる雲、けだるい空気、あたしたちの、ワイルド・ワイルド・ワイルド・サマー。

運転席のあいつにカメラを向けて笑え、と彼が言い、

しかめっつらで、サングラスで、前を見たままあいつがカメラのその手を押しのける。

「つまんない男ね、笑いなさいよ。」

後ろからあいつの顔を掴み、無理やりに笑顔の形にしてやった。

あたしも笑ってカメラにポーズを決める。

品のない笑い声を立て、青空の瞳で彼が笑う。

「おまえ、すっげえ変な顔。」

ポラロイドに浮き上がるそれをあいつに見せてぶっさいく、と笑い転げた。

岩だらけの道、サボテンの風景、彼がシートを乗り越えてあたしのところまでやって来る。

甘い言葉を囁く彼の声は風が強すぎて聞こえない。

パナマ帽を足元に落として、キスをする。タバコの味の彼のキス。

背中をつけた皮のシートは太陽のせいで驚くほどの熱。彼の首筋からは日焼け止めの匂い。

日に焼けちゃったら困るから、と耳元で彼の声。その手が即物的に下着だけを取り去る。

身体の下でエンジンが緩やかに加速した。降り注ぐ官能的な青い空。

なにもない道の途中、突然現れる美しい建物、神の住む家。

祈りを捧げよう、と彼が言ってあたしたちはその家のドアをノックする。

泥棒みたいな忍び足でマリア像に近寄った。ステンドグラスからはノスタルジックな日の光。

慈しみ深い聖女の顔に、いい女だな、と俗っぽいことを言ってあいつが笑う。

「あたしを前にして、そういうことを言うのね。デリカシーって言葉知ってる?」

「そりゃおまえ、冒涜だろ。」

肩をすくめる真似をしてあいつがつまらなそうにあたしを見る。

頭に来て、世界一の味方に声をかけた。

「サンジくん、聞いた?」

失礼な男だな、おまえ、とあいつの緑頭をコツコツ叩いて、彼が言い、

脳みそイカレてんじゃねえの、というあいつのふたたびの言葉に彼は大げさに驚いてみせる。

「まさか。」

「そうよ、まさか。」

ねえ、とあたしたちは顔を合わせて笑い、そんなあたしたちをマリアは慎み深く見下ろしていた。

「ナミさんと、それからマリアの美しさを称え、一曲弾こう。」

パイプオルガンの前に座って彼が言う。唇には火のついていないタバコ。

賛美歌が神の住む家に響き渡り、あたしは日曜学校に通いつめる

熱心な子供を装い長椅子に座り込み、敬虔な気持ちになってそれを聞いた。

あたしの膝を枕にしてあいつは目を瞑る。神の家にそっと訪れた悪魔の申し子たち。

やがて神父がやって来て、一体なにごとだね、と申し子たちに尋ねる。

賛美歌がふいに止み、彼が、ああ、神父さま、と芝居がかった身振りで近寄り、

迷える子羊の懺悔を聞いてください、とにやり、と笑った。

「彼も、彼女もおなじように愛してしまった。

どうしても選べない。神はこんな私に罰をお与えになるでしょうか。」

かなしそうなふりをして言い彼は、直後に品のない笑い声を立てて、走り出す。

つられるようにあたしたちも彼のあとを追って神の住む家を逃げ出した。高らかに笑い声を立てて。

神の住みかを逃げ出して、車は西を向けて走り出す。カー・ラジオからはポップ・ミュージック。

街を通り過ぎてゆくパレードの歌。このパレードも終わることがない。あたしたちの、ラブ・パレード。

彼は意味のないジョークを飛ばし、助手席でシャンパンをあおる。

ベガスの手前に小さな遊園地を発見した。悪夢の中のような遊園地。

回転木馬は奇妙なスピードで回り、アコーディオンの音色とともにおどけたピエロがやって来て、言う。

やあ 久しぶりだね 迎えに来たよ ずっとずっと 待っていたんだ

そんな遊園地に乗り込んで、あたしたちは観覧車からの夕暮れを鑑賞する。

てっぺんを目指して、あたしたちを乗せた観覧車はゆっくりと登ってゆく。

夏がまたひとつ消えようとしている。広大な土地の、ちっぽけなあたしたちの夏が。

夕日を見つめる彼の横顔にはカナシミ。世界の美しさを信じることの出来ないカナシミ。

キレイであればあるほどそれは、恐怖となって彼の心に襲い来る。

「大丈夫よ。」

この世のすべてのやさしさを込めてそのカナシミの横顔に言った。

夕日をうけ赤く照らされた彼があたしを見て、それからたまらない、という顔で吹き出す。

けれど笑顔はすぐにカナシミを持ち、ホントウに?と少し頼りのない声で彼は呟いた。

「なによ。あたしより神様信じる気?」

この世のすべての愛を言葉に込めて、そう言った。

笑いながら彼が、そりゃあ、ナミさんに決まってる、そう言い、その手が伸ばされた。

「でしょ?」

彼の手があたしの髪を上手に梳く。

この世のすべてのやさしさと、愛を込めて。

あいつは退屈な横顔で夕日に照らされシャンパンをあおる。

立ち上るその泡。まるで日々のような。

「世界はすべてあなたの思い通りに。」

そのてっぺんから見えるのは夕日に照らされる大地。

望んだままに形を変えて現れる幸福。黙示録の風景。

「あたりまえよ。」

ナミさん、すっげえ傲慢、苦笑いの彼が言った。

「嫌いになる?」

「まさか。」

どうして、と彼がほんとうにわからないという顔をして言うので、あたしはとても幸福になる。

世界のすべてはきっとたしかにここにあるのだ。

「たとえ傲慢でも、最低な女だとしても、あなたはあたしのことが好き。あなたはあたしが好きよね?」

「だから言っただろ?すべて君の思い通りだ。」

そこで彼はホントウに微笑み、観覧車はその緩いスピードで地上の夜に落ちてゆく。

 

 

FIN.