イッツアワンダフルワールド。

             
【後編】

     

             

             

             

             

じじいにみやげはなににしようかな、とススキノのファッションビルで

大量に服を買い込んだサンジが言う。

どうしてこんなところで買うんだよ、帰ればおんなじ店があるだろ、

と言ったらそこではじめて自分の行動に気づいたように、

そういえばそうだった、と少しだけ恥ずかしそうに、でっかい紙袋を抱え直した。

翌日も、雪が降っていた。

コンビニで買ったビニール傘をさしてみたけれど、雪はどこからでも吹いてきて、

傘をさしてる意味がねえ、とサンジはコートの帽子をかぶり、笑っていた。

テレビ塔の中のしょぼい喫茶室で、コーヒーを飲む。

それは長時間じっくり煮詰めたような味がしておそろしくまずかった。

じじいにはやっぱ干物とかかな、じじいだし。

俺達が13の、中学2年の夏にじいさんは血を吐いて倒れた。

それはただの胃潰瘍だったけれど、サンジの動揺ぶりは見ているのがかわいそうなほどで、

それを心配した母親の提案によりじいさんの入院しているその間だけ、

サンジは俺んちの子になった。

俺の部屋の床に布団を敷いて寝ているはずのサンジは、朝になるといつのまにか

俺のベッドのなかでまあるく膝を抱えて眠っていた。

そしてその手にはいつも、ぼろぼろの、涙で湿ったナナの腕が握り締められているのだ。

朝日の中で泣きはらしたサンジの小さく白く頼りのない寝顔に、

早く、もう、すぐに、大人になれたらいいのに、とそんなふうに思って

色の薄い髪に顔をうずめたあの日々の胸に広がる苦味をふと思い起こした。

泣きはらした寝顔の赤い目元、それから消毒液と、白い壁、ほのかに死臭の漂う

病院のベンチで俺の制服のシャツをぎゅっと握るサンジの細い指、

遠くを見る眼差しと、せみの声、中庭に揺れる緑、

清潔でざわざわと落ちつかない、ゆるい光の午後。

俺の13の夏はそんな記憶にばかり彩られている。

きっかけなんてもう覚えていない。

気がつけばいつも隣にはサンジがいたし、ずっといつでも一緒だった。

朝日の中の寝顔、迷子になってシャツを握る心細い白い手、笑顔や、変な泣き顔、

すべてがきっかけのようでもあったし、ほかのなにかがあるような気もした。

ここからじゃテレビ塔つってもなんも見えねえな、つーか、

なんかあれだな、大通り公園ってけっこうしょぼいもんだな。

時計台もしょぼかったしな、どうせならさ、いっそセントラルパークあたりを

闊歩してみてえよな。

そう言うサンジの足元には、コートやらセーターやら少しだけ早い春物の、

綺麗な色の服が入った袋が並んでいる。

窓の外の、冬の早い夕暮れに、街灯には明かりが灯りはじめていた。

サンジはCDも、本も、なぜか沢山買い込んだ。

頭が寒い、と言って帽子を買いに店に入り、その後はもう止まらなくなった。

一番上の本屋から、となりのビルのレコード屋まで、あらゆるものを買い込んだ。

ラーメンを2度食べて、そのあとはずっとサンジの買い物に付き合った。

途中、アフタヌーン・ティーでお茶をした。

これも、東京に帰ればおんなじ店がある。

ポットに入ったお茶を飲んで、おまえ、似合わねえな、こういうとこ、

アップルパイを頬張った。

CDも本も、服も、普段のサンジなら選ばないようなものばかりだった。

サンジは物をあまり買わない。

服も、CDも、本も、これがなければ明日死ぬか、と自問して、

それでも決められずに、2週間は迷う。

そうして買った物で、少なくこぢんまりとサンジは生活をする。

こぢんまりと、それはサンジに最も似合う言葉だった。

顔のつくりも佇まいも、サンジはとてもこぢんまりとしている。

身長は1センチしか変わらないし、態度はでかいし笑い声もでかい、

けれどもこぢんまりと、ときには少しだけ申し訳なさそうに静かにひっそりと、

なぜだろう、サンジはときどき、そんなふうに見える。

山に登ろう、窓の外を眺めていたサンジが突然言った。

冬の夕暮れはあっというまに夜に変わる。

「山?」

「そう、山、夜景を見よう。チンチン電車で行けんだよ、たしか」

コーヒーはもうぬるく、飲める代物ではなくなっていた。

「夜景、ロープウェイで登れる山」

サンジはそう言ってさっさとリュックを背負い、

でっかい紙袋を抱えて出口へと向かう。

こぢんまりとその後姿も、どこか居心地が悪そうに

猫背の背中がほんの少しだけ丸まっていた。

             

             

闇の中をリフトに乗って、山の頂上へと向かう。

気づくと雪はいつの間にかやんでいた。

直に掴んだ鉄の手すりがひんやりとしていて手がかじかんだ。

でっかい袋を抱え手放しのままのサンジは、ゆらゆらとリフトが揺れる度に

ぎゃー、落ちるー、落ちたら死ぬかな、やべえなリフトから転倒して死亡、

それって間抜け過ぎるよな、とそんなことも楽しそうに笑っていた。

朝、目を覚ますとサンジはもうすでに起きていて白いパジャマのまま

馴染めないようなどこか浮いているような表情で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

静かに鼻歌が聞こえた。

変な言葉の羅列の、出鱈目な歌を、小さく歌っていた。

ティトゥリトゥリトゥリラートゥラーリートゥーレリラー。

サンジ、声をかけると、お、起きたか、おはようさん、いつもの顔で笑った。

山の上は風がぴゅうぴゅうと吹きすさび、夜景を見る間もなく、

なぜか、シャッターを押してください、と頼まれまくったサンジは

ひたすら他人のために写真を撮っていた。

もっと近寄ってー、はい、いきますよー、笑ってくださいねー、はーい、チーズ、

写真屋のようにそう言ってシャッターを押す。

ジー、カシャ。

そして写真を撮ってやったカップルと世間話をする。

寒いっすねえ、それにしても夜景がきれいですねえ、あっちのほうって函館ですか。

持っていろ、と渡された紙袋を抱えて俺は、ぼう、と夜景ではなく夜空を眺めた。

「ゾーロ、空見てどうすんだよ、夜景見ろよ。

ていうかさ、おまえ、変だぞ、腹巻きしてないのか?

お腹痛いか?トイレ行くか?それとも医者行くか?」

「痛くねえよ」

「ふうん」

「もう終わったのか」

「なにが?」

「写真」

「あー、うん。そう言えばカメラ持ってくんの忘れたな」

「別にいらねえよ、写真なんて」

「そうですね、心のシャッター押しておきましたから」

そう言ってサンジは自分の言葉にばっかばかしい、と笑った。

唇から吐き出される空気は白い。

そして、唐突に告白がはじまった。

「なんかさ、遠くまで来たって思っちゃうなあ、旅行したことなかったし、

飛行機乗ったことなかったしさ、俺さあ、飛行機がさ、落ちちゃったら、

そうしたらじじいはひとりぼっちになっちゃうんじゃないかって、

そう思って旅行とか行けなかった、ずっと、飛行機なんて落ちるときは落ちるし、

落ちないときはどうやったって落ちないのに、どうしても乗れなかったんだ、

おかしいけど、馬鹿みたいだって、そう思うけど、乗れなかった」

喋り続けるサンジの白い息は吐き出されるそばから闇に溶けては消えて行く。

俺は黙って、でっかい袋を抱えてまま空を見上げ続けた。

「だけどほんとうはさ、じじいをひとりぼっちにしたくなかったんじゃなくて、

どっかに出かけて、それで帰ったら、じじいが死んでたらどうしよう、って

そんなふうに思ってたような気がするんだ、そんなふうに思うから、

どこにも行けなかった、どうしてもあの家から出て行くことが

出来なかったんだ、でもさ、じじいがいきなり言うんだ、結婚する、って、

結婚する、てめえは邪魔だからさっさと出て行っちまってもいいぞ、

って言うんだ、そしてしまいにはその人家まで連れてきて俺に紹介して、

そしてさ、その人が帰っちまったあとに、言ったんだ、

いつまでも俺にしがみついてねえで何処にでも行っちまえ、って、

俺がいなきゃいけないって、じじはひとりぼっちだって思ってたのに、

じじいにはもういるんだ、大切な人が、家族になりたい人が、

俺どうしていいかわかんなくなってさ、街に行ったんだ、そしたらさ、

クリスマスのショーウインドウの飾りつけで白いスプレーでサンタとか、

トナカイとかが描かれてて、それ見てさ、思い出したんだ、俺の生まれ故郷ってさ、

寒くて雪ばっか降ってて、窓には雪がほんとうにこんなふうにはりついてた、

寒くてなんにもなくて、ただっぴろくて、厳しくて、それを思い出した、

思い出して、行きたくなった、北の、寒い、雪の国に、

飛行機も乗ったことないし、不安だったけど、行ったらさ、

なんかが変わる気がした、なんかを知りたくなった。

ぶらぶら歩いてお茶を飲んだり、知らない道を覗いて、入ってみたり、

そういうことが、とっても、なんだか、してみたくなった」

でもさ、と足元の雪を蹴って、小さく小さく告白は続く。

「でも、なんかさ、あっけなく、来れちゃったな、

こんなところまで、簡単なことだったんだな、

今朝家に電話したんだ、そしたらさ、あの人が出て、それからじじいが出た、

いつもと変わらない声で、朝っぱらからうぜえぞ、チビナス、って、

なんにも変わらない、おまえの寝顔も、遠くにいるじじいの声も」

長い前髪に隠れたその表情は見ることが出来なかった。

ただ唇から白く、吐く息が絶え間ない。

それからさ、と、サンジはきゅ、っと手袋の手で俺のコートの裾を握り、

すぐにそれを離し、また話し出す。

「それからさ、思ったんだ、いつも家に居て、半径2メートルくらいの近眼みたいな

世界にいて、ずっと一緒で、どこかへ行ったこともない、ずっとおなじだったって、

安心で、変わらなくて、幸せだけど、もっと、どっかに、

もっともっと広いとこに行ってみたい、って思った、はじめて。

広いところに、そして、それはおまえが一緒じゃなくちゃいけないんだ」

ぎゅう、と心臓が痛かった。

あたりにはもう誰もいなくて、山の頂上でふたりきりだ。

抱えた紙袋が、かさり、となる。

はじめての旅行で浮かれたサンジが買ったたくさんのものたち。

ほんとうはずっとこんなふうに旅行も買い物もしてみたかったのかもしれない。

うん、そう言って、サンジの手袋の手を握った。

「そこに、行こう、おまえが生まれた国に、飛行機に乗って、

遠くまで、行こう、セントラルパークにも、何度も行こう、

行きたいだけ行こう、夜景も、もっとすごいのいっぱい見よう、

バスにも、電車にも、乗ろう、温泉も、パリもブラジルもスペインにも、

どこにだって一緒に行こう、免許も取って車にも乗ろう」

痛くて、痛くて、涙が出てきてしまわないように一生懸命に喋った。

こくり、と真面目な顔をしたサンジが小さい頭を振る。

「北でも南でも、じいさんになっても、世界を何周もしよう、

英語もスペイン語も、フランス語も、なんにも出来ないけど、ふたりならきっと大丈夫だ」

そう言って笑うサンジの後ろに広がった夜景は、

冬の澄んで凍える空気の中でくっきりと、とても綺麗に見えた。

             

部屋へ帰るとすぐに、冷えた体を温めようと風呂に湯を張って一緒に入った。

まあるく小さく、膝を抱えながら、ふたりで。

サンジのごつごつした膝にはでっかい青タンが出来ていて、

それを見る俺の視線に気づいたサンジは

雪道でこけると痛いぞ、気をつけろよ、と自分の膝をするする撫でた。

風呂は狭くて、ぎつぎつになり黙ったまま、風呂場の窓から向いの

パチンコ店の騒々しい明かりを見つめた。

風に乗って、歌が聞こえた。

その歌に合わせて歌うサンジの声が、狭い浴室によく響いた。

             

そうして、外に出て行くのがめんどくさくなった俺達は、

馬鹿みたいにたくさんのルームサービスを取り

テレビを見ながらステーキやパスタやサンドイッチや果物やケーキを食って、

シャンパンやらワインやらビールやらジュースを飲んだ。

クリスマスの特別ドラマに、サンジの好きな女優が出ていた。

女優が、クリスマスに、恋人役の男とホテルの綺麗で贅沢な部屋で、

ケーキを食べながら生クリームまみれのキスをする。

それを見てサンジが、いいなあ、と言ったのでその口のなかに

べったりとクリームのついた指を押し込んで、テレビのなかの

恋人たちよりももっとぐちゃぐちゃのキスをした。

唇を離したとたんに、いいな、ってそういう意味じゃねえよ、

このおねえさんとしたいって意味だ、馬鹿か、アホか、と怒鳴られたので、

聞いていないふりをしてでっかい鶏肉の塊にかぶりついた。

生クリームと肉汁の、混ざって変な味がした。

             

             

布団の上で、裸になって、お互いのモノをまさぐり合う。

14のとき好奇心で、セックスをしてみよう、と、

なにもわからないまま挑戦して、流血沙汰になったことがある。

どっちに突っ込むか、ということになって、ジャンケンで負けたサンジに

俺が挿れて、終わったあとに、死ぬかと思った、とサンジが

涙でべろべろのしかめっ面で、ケツから裂けて、本気で死ねるぞ俺、と枕に顔を埋めて、

ドーナッツ型のクッションが欲しい、あれがないときっと椅子に座れない、とため息をついた。

そしてその3日後に、どこで聞いてきたのか、ゾロ、ゾロ、あのな、

後ろに挿れるのって内蔵殴ってるのとおんなじなんだぞ、

おまえ、俺の内臓殴って楽しいか?俺はおまえの内臓殴るのも

嫌だし、殴られるのも、嫌だ、と真剣な顔で言った。

それ以来、俺たちのセックスに挿入はない。

扱いて、出しあう。

そしてたまに咥えたり、咥えられたり、それだけだ。

サンジはあんまり声を出さない。

俺も出さないので、会話も少ないこの行為は

妙に静かで真剣で、なんかの儀式みたいだ。

15のときに、クラスメイトが俺の部屋に置いていったエロ本で、

女の裸をおかずにして、したことがある。

出してから、なんだ、俺も案外普通の男だったんだな、そう思った。

物心ついてからずっと、おかずはなんの疑問もなしにサンジだったからだ。

サンジが、これなに、借りてってもいい、と言ったので貸してやったりもした。

次の日に、そのエロ本を抱えて俺の部屋へやって来たサンジが、

なんかさ、これ、とぱらぱらとページをめくりながら言った。

なんかさ、これもいいんだけどさ、俺、ゾロにやってもらったほうが

もっとずっと気持ちいい、って思っちゃった。

「ん・・は・ァ」

鼻から抜けるような声を出してサンジがイって、

気持ち良かった、と、ぽわん、と無防備な顔で笑う。

そしてもぞもぞとその頭が下へと降りて行き、俺のを咥える。

俺やばいなー、なんていうかもう、一流?プロ?

このテクをおまえにしか披露出来ないってのが残念だな、

チャンピオンなのに、ヘビー級なのに、ああ、もったいねえ。

まえにサンジはそう言って、あ、でもそんな男ってどうなんだろ、

つーか男としてどうよ俺、男としちゃあ、なんの自慢でも特技でもねえな、

と結論まで出してから、シャツにトランクス、というハンパで間抜けな

その姿のまま、ぽっぽっぽ、と頬を叩いてまるい形の煙草の煙を吐いていた。

足の間の、やんわり温かくそして小さくまるい頭を撫でる。

ゆるゆると、薄い頭皮を撫でると、細い髪がしゃんらり、しゃんらり、となった。

頭を撫でつづける俺の手を、いつも冷たくて熱のかんじない手が

いまは、ほんのりと熱を持ってきゅう、と掴む。

名前を呼ぶと、その手にぎゅううう、っと、余計に力が込められた。

俺の顔を覗き込んだサンジが、口元に白く垂れたものを拭いながら、

気持ち良かった?と子供みたいに無邪気な顔で聞く。

それに返事をするまえに、ああ、てめえ、なにシーツで手拭いてんだよ、

もうここで眠れないじゃん、最悪、信じられねえことすんな、と騒ぎ出した。

「チリ紙、どこにもねえし」

「おまえ、その頭をいっぺん後ろに向けて見ろ。そこにあんだろ、

探し物したことねえのか、ばーか。この布団はおまえが使えよ」

「シーツはずせば問題ねえだろ」

「じゃあそうしろ、そしておまえがそれで寝ろ」

そう言って、さっさとサンジは隣に敷かれた布団のなかにもぐり込んだ。

背中を向けたままのその隣に、おなじように、もぐり込む。

裸のままの背中におでこをつけて、心臓の音を聞いた。

じじいに干物買って帰ろう、それをついでにクリスマスプレゼントしてやろう、

という声も背中越しに直接伝わってくる。

おまえ、プレゼントなにくれんの、くるり、とこちらに向き直ってサンジが言う。

サンジは怒るのも早いし、それを忘れるのもおなじくらいに早い。

用意してねえつったら殺すぞ、俺の緑に染めた髪をひっぱって、

なあ、なにくれんの、あ、でも、内緒でいいよ、楽しみにしてっから、

期待してねえけど、と笑う。

「用意してねえ」

「殺すぞ」

「欲しいもん言えよ。明日買うから」

「マジで用意してねえのかよ」

「いいから言えよ」

「まあおまえに期待するほうがおかしいけどな」

小馬鹿にしたような顔で笑ってから、欲しいものねえ、と

俺の髪をぐしゃぐしゃと掻きまわしながら、うんうん、唸る。

しばらくそんなふうにしたあとに、あ、思いついた、と笑顔になった。

「オープンチケットがいい」

「オープンチケット?どこ行きのだよ」

「どこでも、いろんなところ。本物じゃなくていい。

これから、どこでも、いろんなとこ、一緒に行くって指キリしろ」

「そんなんでいいのかよ、金のかからねえプレゼントだな」

「タダより高いもんはねえんだよ、ほら、しろよ」

小指を出したサンジが、しろよ、とじれったそうにその指を振る。

白くて細いその指に小指を絡めて、ゆっくり揺らして、

それから、メリークリスマス、と笑い合った。

そして指を絡めたまま、裸の膝をまあるく抱えて俺たちは、

眠りのなかに落ちていった。

             

自分のばかでかいくしゃみのその音で、明け方に目を覚ました。

サンジはいつのまにかひとりだけきっちりとパジャマを着込んで

まあるく、膝を抱えて、きゅ、っと唇を固く結んだまま眠っていた。

枕元にメリークリスマス、と書かれたカードと小さな紙袋がある。

カードを開くと、さりげないコーディネートで隠れたおしゃれを楽しめ、

と汚い字で書いてあり、袋の中には緑色の腹巻きが3枚セットで入っていた。

ため息をひとつ吐いて、まだ暗い夜明けの窓の外を見やった。

―不安なの、後悔ばかりしているの、よくないことばかり考えてしまうの

あれはきっとサンジの気持ちでもあるし俺の気持ちでもあった。

後ろめたさと、それでも相手を想ってしまう、そのかなしさ。

そして、その孤独。

誰にも理解されることがない。

でもきっと、とそう思いながら、手のひらをぎゅうっと握り締めた。

それでも、きっと、ふたりならば大丈夫。

             

             

宅急便で荷物を送り、空港のなかでぶらぶらと搭乗までの時間をつぶす。

みやげもの屋で干物を見つけてサンジが、これから毎朝朝食はこれだ、と

大量にそれを買い込んだ。

白い恋人も、六花亭のバターサンドも、夕張メロンのジャンボポッキーも買った。

空港までの列車の窓から、ものすごい勢いで吹雪く雪を見て、飛行機飛ぶのかな、

と不安そうにしていたことをもう忘れている。

列車の窓の外の吹雪きを見つめながら、おかーさーーん、ほたるーーう、っていう

あれ思い出すな、あっというまだったな、さようなら北海道だな、さみしいもんだな、と

サンジは缶のコーンポタージュをぐびぐび飲みながら、北海道チーズ味のカールを

ぼりぼりとむさぼり食って、この組み合わせはさすがにしつこいな、と

言いつつ、それでもぼりぼりぐびぐび、とやっていた。

言ってることはしおらしいのに、いつも態度がそれに伴っていないのだ。

空港のなかは明るく、温かく、沢山のスキー客や親子連れも、カップルも、

いろんな人でごった返ししていた。

あ、忘れてた、売店のじゃがバターを食べていたサンジが、

突然はっとした顔になって、どうしよう、と泣きそうな声で、

どうしよう、どうしよう、と繰り返す。

「あの人にプレゼント用意してない、俺。きっと帰ったらいる」

「東京帰ってからでいいだろ、付き合ってやるよ、

銀座でも、新宿でも、渋谷でも、どこでも」

なんだ、そんなことかよ、と思いながらとうもろこしを食った。

「・・・・なに買えばいいんだろ」

「さあ、知らねえ」

「・・・わかんねえ、俺、女の人にプレゼント贈ったことねえよ」

女の顔を思い浮かべて、ふと、思いついた。

「金色の、でっかい、ピアス」

「おお、おまえすげえな、実はプレゼントとかしたことあんの?」

「ねえけど。なんとなく」

ナナは耳に、でっかい金色のピアスを付けていた。

その金色の輪を揺らしながら、戦うのだ。

男勝りで、黒い髪の、美しい、女ヒロイン。

「よし、それ買いに行こう。東京ついたら、銀座で降りて、ピアス買って、

そして、デパートでケーキを買って、帰ろう。今度はみんなで、ケーキを食べよう」

バターで口のまわりをテカらせて、クマのナナに付けられたのとおなじ色の、

その瞳で、サンジは笑った。

             

搭乗ゲートをくぐると、どこからこんなに人が、というほど混雑して、

飛行機は雪で少しづつ、離陸も、着陸も、遅れているらしかった。

「人、すげえな」

感心したようにサンジが言って、暑い、とマフラーを取る。

ソファーは全部埋まっていて、端の、隅のほうにふたりで座り込んだ。

 「難民みてえだな」

膝を抱えて、マフラーとみやげを膝の上に乗せてサンジが言う。

がさっと、干物の入った袋がなって、魚の、干した匂いがした。

広い空港の端の、隅で、膝を抱えてまあるくなって、サンジが、

小さく小さくほんとうに小さく、横顔のまま呟いた。

あのさ、今度さ、挿れてみたり、しような。

窓の外はものすごい白い色の嵐で、昼を過ぎているのに

まだ11:00の飛行機も、飛んでいなかった。

ダメだったらまた挑戦して、そして、ちゃんと繋がってみたり、しよう。

干物の匂いと一緒に、ぽん、と俺の肩に、小さな頭が乗る。

うん、と返事をしたら、なぜか鼻の奥がつうん、となったけれど、

それはきっと干物の匂いのせいだと思うことにして、立てた膝の上に顔を伏せた。

難民みたいな人々の集団のなかで、行き場もなく、じっと、

誰よりも難民みたいに俺たちは、小さくまあるくなったまま、

いまだ聞こえてこない、搭乗の案内を待ちつづけた。

             

             

おわり