ワンダー・ウォール
















壁の中に住んでいるという。
そして壁の中からやって来たのだ。












サンジが昼寝から目を覚ますと、男はすでにそこにいた。
男はすでに部屋にいて、国語の教科書を熱心に読んでいた。
「おや、と、兵十はびっくりしてごんに目を落としました。
ごん、おまえだったのか、いつもくりをくれたのは、
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。
青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました」
セミの鳴き声は眠る前よりずっと騒がしく、
日差しはちょうど頭のところへ差し込んできていて、眩しかった。
それは7月のはじめのやけにむしむしとした午後で、下着の残りはあと3枚だった。
男は暑さに汗を掻いているようだった。
くるりと辺りを見回してから、そういえば今日が水曜日だったと思いつく。
水曜日にポーラは念入りに化粧をして、クロコダイルのところへ会いに行く。
そして明日の朝まで帰って来ない。
「誰」
当たり前すぎて、訊くのもためらわれることを男に尋ねれば、
教科書から顔を上げ、ゾロだ、とサンジを真上から見下ろして言う。
「なにやってるの」
もしかするとポーラの友達かもしれない。
ポーラは今年28になった。
男もきっとそれくらいだろうと、日に焼けた顔の、
しかめられた眉を見て、サンジはそう思った。
大人はよくそれをやっている。
考え事をするときや、困りごとのあるときに、
眉をきゅーっとしかめてみせるのだ。
困っているのかな、とサンジは真下から男の顔を覗き込んで思う。
なにか困ったことがあったのかもしれない。
たとえばポーラがクロコダイルのことを考えるときの顔だ。
クロコダイルのことを、サンジに向かって
陽気に語りかけた後の一瞬に見せる顔に似ている。
目が濡れている。泣いているのとは違う。
けれど潤んでいて、かなしそうだ。
日差しはサンジの顔を照らす。
回る扇風機を見ていたかなしそうな顔の男が、
おまえこれできっか、とその羽を指で止めてみせた。
「あぶないよ!そんなのあぶないからしちゃいけませんって!」
あわてて起き上がり、男の手を握った。
サンジの手よりずっと大きくて、皮が厚かった。
ほんのり、男が笑った。
「ポーラが?」
扇風機の風を顔に受け、男は言う。
「そう、ポーラが」
「なんで知ってんの?って思ってんだろ」
「なんで知ってんの?」
「見てたから」
男が先ほどのかなしいような顔になって、言う。
「いつも見てたから。壁の中から、毎日。
ひとりぼっちで、いるの、見てた」
みーこちゃんみーこちゃんみーこちゃん、
大家さんがブスでデブなトラ猫を呼ぶ声が聞こえる。
みーこちゃんはこの間ポーラとサンジが
大切に育てていたミントの葉におしっこをかけて、枯らせた。
その前にはバジルの葉を食いちぎってボロボロにしてしまった。
それなのにごめんなさいねえこの子ったら、
と大家はみーこちゃんを大事そうに撫でただけだ。
それで終わり。
バジルもミントも、みーこちゃんの前ではミジンコほどの価値もない。
「なあ」
男が口を開く。
「おもしろい話を、してやろうか」
かなしそうな顔をやめ、サンジの頭に触れて男が言った。
「壁の話だ」






壁の中に住んでいると男は言う。
そして壁の中からやって来たのだ。
「壁の中には壁の中の世界がある」
男は言う。
「壁の中には壁の中の世界があって、
そこには空も海も山も、スーパーマーケットもあるしバスも走っている」
ポーラが朝方干していった洗濯物が、乾ききって風に揺れているのが見えた。
「バスは山から町まで一日5往復」
男の話は続く。
サンジは話を聞きながら壁にじっと目を凝らせ、いまこのときに、
あのじっとして動かない白い壁が、ゆらゆらと動いてしまったり、
震えたりしないだろうかと思った。けれど壁は静かに揺れも震えもしない。
壁の中の世界の住人は、外の世界に出ることはできない。
なぜなら壁の中に世界が存在していることを、
壁の中の人々は、とても恐れているからだ。
知られてしまったら最後、壁の外に暮らす邪悪な人々の
侵略にあうだろうに決まっているのだ。
くー。
話の内容とうらはらな、間抜けな音で、男の腹がなった。






台所に立ったサンジの背に向かい、男はなおも話を続ける。
ほんとうならばすぐにでも時空パトロールが来て捕まってしまうところだった。
でも今日はなぜだか壁の出入り口にパトロールの人間はいなかった。
よし、これはチャンスだと男は思ったらしい。
「どこに出るかは賭けだった。
もしかすると沙漠のど真ん中に残された遺跡にでも出てしまうかもしれねえし。
だけどまあ、出てみたらなんだ、おまえが昼寝をしていたってわけだ」
サンジの作ったトマトのパスタに、はじめて食べる味だと男は言った。
壁の中では野菜がうまく育たない。太陽は出ているが、あれは本物ではない。
蛍光灯だ。空も、実は布切れに色を塗っただけだ。
恐ろしく本物みたいな空の絵の、布切れが夕暮れや朝焼けまでも彩るのだ。
時刻に合わせてそれを交換するのは空係の仕事なのだと言う。
「ねえ、ゾロはいま、もしかして、とても悪いことしているの?」
「ああ」
トマトで真っ赤になった口元で男は返事をする。
「ひみつ?」
「あのな、ぜったい、誰にも言っちゃだめだかんな。
知られたら、もう二度と、出てこれなくなっちまう」
まるで共犯者みたいじゃんか、とサンジは思った。
ちょっとわくわくする響きだった。
悪いっぽくて、ひみつっぽくって、すてきっぽい。
「で、俺そろそろ帰るわ」
「壁の中に?」
「まあな」
にやりと男は笑った。
どうやって帰るんだろう、とサンジはわくわくした。
「どうやるの?」
「すり抜けるんだ」
「すごい!」
「でもな、見られてちゃいけねえ」
「え?」
「見られてしまったら最後、すり抜ける途中で固まっちまう。
永遠にそのままだ。だから約束しろ。俺が壁をすり抜ける間はぜったいに、
見ないって。じゃないと俺は、うかうか壁をすり抜けらんねえ。帰れねえ」
「わかった約束だ!絶対見ねえ!約束する!」
「じゃあ、100数えろ。その間に俺は消える。」
「待って!」
「なんだよ」
「ま、また、来てくれる?」
ポーラのいない昼間、サンジはひとりぼっちでぼーっとしていなきゃいけない。
だからたまに壁に向かって話しかけたり、してもいた。
もしかしたらとサンジは思う。もしかしたらゾロはオレの独り言を聞いてたのかな。
壁の中で。だから、来てくれたのかな。時空パトロールの目を盗んで、
危険を冒して。きゃー、と思わず叫びたくなった。
それってそれってまるでスーパーマンみたいだ!ゾロってばすごいや!
男がサンジの頭を撫でて言った。
「約束だ」
男に背を向けて、大きな声で数を数えた。
いーち、にーい、さーん。
100数えて振り向くと、男の姿はどこにもなかった。






翌朝、目を覚ますと、ポーラはいつものようにけだるそうにコーヒーを飲んでいた。
朝の光を嫌うポーラのために、
カーテンは開けないようにして、暗がりの中で服を着替えた。
朝のポーラには生気がない。クロコダイルが
ねえ、ねえ、聞いてよ、彼ったらまた、
などと言いながらコーヒーをすすり、
ランドセルに教科書を詰め込むサンジを見るでもなく見ている。
ポーラはサンジの2番目の母親だった。
あたし、ほんとにサンジのママかもしれない。
ね?サンジもそんな気がするでしょ?
だからここからいなくなろうか、とポーラは言った。
ママ、とサンジは言った。
うん、行きたい、連れてって、ママ。
「そういうのは昨日のうちにやっておきなさい」
けだるげなポーラが言う。
えらそうなこと言って、だけどポーラは知らないんだ、
壁の中にも人が住んでたりすること、と思うとサンジの顔はにんまりとにやけてしまう。
ポーラがそうやってぼーっと背にしてる壁から昨日、緑色の髪の男が出てきたんだよ!
でも教えてあげないよ!だってオレとゾロのひみつだから。
「ちこくしちゃうからもう行くね」
ドアを開け、部屋の中にたたずむポーラに声をかける。
「そういえばねえ、どこやったのよ、あんたのパンツ、またなくなってたわよ」
ポーラの声が追いかけてきたけれど、そんなことに興味も示さず、
布切れではない空が、真っ青に染まる中を、軽い足取りで、
サンジは駆けた。






水曜日に、ふたたび男はやって来た。
目を覚ますと男はすでに部屋にいて、
この間のように国語の教科書を熱心に読んでいた。
「おや、と、兵十はびっくりしてごんに目を落としました。
ごん、おまえだったのか、いつもくりをくれたのは、
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。
青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました」
目を覚ましたサンジに気がつくと、
おお、起きたかと言って、髪の毛をぐしゃぐしゃにする。
「くすぐったいよう」
セミの声がうるさい。
壁の中でセミの声は短波ラジオから流れてくるのだと男は言う。
アブラゼミもミンミンゼミもニイニイゼミもヒグラシも、
好きなように鳴かせることが出来るのだ。
「ゾロはどれがすき?」
「しゅわしゅわいうやつ」
「クマゼミっていうんだよ!」






ポーラのいない水曜の昼間にやって来ては男は壁の中のひみつを、
サンジに打ち明けた。壁の中の世界をひとつ知るたびに、
サンジはみんなが馬鹿のように思えた。
壁の中に人が住んでいるなんて、
知らないでよくみんな平気で遊んでいられるなあ。
壁の中でも、すごいことがいっぱい起こっているのに。
壁オニをして遊んでいるときなどは、壁に触れながら、
サンジはそっとゾロのことを思ったりした。
この中に、いるんだぞゾロは。
短波ラジオでクマゼミの声を聞きながら、
おそろしく本物みたいな夏空の絵の描いてある布切れの下で、
昼寝をしているんだ。そう思うとどきどきした。なにもない冷たいただの壁が、
いままでと違ったようにサンジには思えるようになっていた。
サンジとゾロをつなぐもの。もしかしたら、隔てている、もの。





3月のはじめから夏にかけて、それは起きていた。
夏が終わりかけのある日、とうとうポーラがキレた。
「パンツが一枚もない!」
というのがその理由だったけれど、
それはポーラの下着ではなくサンジの下着だったので、
なんでそこまで怒るのだろうとサンジは不思議に思った。
「どうして?あんたは一体どこで脱いでくるの?」
「オレじゃないよ」
「あんたじゃなかったら誰だっていうのよ」
「知らないよ」
「知らないじゃないでしょ、おねしょしたの?
だったら正直に言いなさい。洗えばいいんだから。捨てちゃったの?」
「してないよ!」
1枚ずつ、少しずつ、パンツは減っていった。
はじめは風に飛ばされたのかしら、と言っていたポーラも、
13枚目を過ぎたあたりから、訝りだした。
パンツはどこへ消えちゃうのかしら?
と言いながらサンジの顔をじっと見た。
そしてパンツも安くないんだから、とポーラはサンジを窘めた。
「下着泥棒かしら」
「なにそれ」
「やだわ。戸締り、しっかりしておかなくっちゃ。
あんたもよ。あたしがいないとき、窓開けっ放しで眠ってるんじゃないでしょうね」
「だってあっついよ」
「クーラーかけなさい」
「体に、悪いでしょ?」
「だー、め」






次の水曜日も、その次の水曜日も、男はやってこなかった。
壁の中の世界でなにかあったかもしれない。
不安になって何度も壁に語りかけた。
「ゾロー、ゾロー。眠ってるの、ねえゾロぉー」
もしかしたら、パトロールが強化されているのかもしれない。
ゾロはいつもトマトソースを口元にべっとりとつけたまま帰っていく。
だからばれてしまったのかもしれない。
今頃拷問なんか受けているかもしれない。
壁の中の人々は彼にどんなひどいこともするに違いない。だって壁の中のことを喋ってしまったから。
どうしよう。そうめんにするんだった!
恐怖でぶるりと震えたサンジはクーラーの温度を上げるべく、リモコンのスイッチを押した。
部屋干しされた下着は、きちんと数が揃っている。






激しい夕立と共に男が現れたのは、
サンジが指折り数えて6回目の水曜日のことだった。
窓を叩く音に目を覚ますと、
男がびしょ濡れのひどいありさまで立っていた。
「どうしたの?大丈夫?」
びしょ濡れのままの男が言うことによれば、
壁の中の世界のベルリンの壁的壁が崩壊したのだという。
それはとても大切な壁で、その壁によって壁の中の世界の均衡は保たれていた。
けれどそれが崩れてしまったことによって、
壁を抜けてもちっともこの部屋にたどり着けなくなった。
さっきもようやく出れたと思ったら、どうやら隣の部屋に出てしまった。
そういうことだ。来れなくてすまなかった、と男は言った。
「大丈夫だよ。でもすこし、心配した」
「ベルリンの壁的壁が崩壊しても、まじないがあれば大丈夫だ」
男が言った。
サンジが窓の鍵を閉めないで眠ること、それだけでいい、と男が言う。
「いいけど、でも、ポーラが」
まじないがきかないと、また壁を抜けてもどこへ行ってしまうかわからねえ、
と男がたいそう困った顔で言う。だめか?だめなら水曜日だけでもいいんだ。
そう言う男の顔は最初にみたときの、あのかなしい顔になっていた。
「でも、ほんとうにきくのかな」
うちのばあちゃん秘伝のまじないだから絶対、
大丈夫だ、と男は言ってサンジの頭をくしゃくしゃにした。






サンジはもう、壁の中の世界のことならなんでも知っている。
壁の中の世界では、好きな人同士で性器を咥えるのだとゾロは言った。
「好き?え?」
「おまえ、俺のこと、好きだろ?」
「好き?」
「俺の言ってること、信用出来ねえ?壁の中には、なにもないと思うか?」
かなしい顔をしてゾロが言う。
ゾロがかなしい顔をしているのは見たくない。
「ううん、ゾロはうそつきなんかじゃないもん」
「だろ?」
サンジを腕に抱きながら、ゾロが言った。
はじめて触れ合ったのはあの雨の日のことだ。
タオルでかしかしと頭を拭いてやったサンジのことを、
くーっと音がするくらいに、ゾロがきつく、抱きしめたのだ。
びしょ濡れのまま抱きつかれて、サンジのシャツもびしょ濡れになった。
濡れちまったな、とゾロは言って、サンジの服を脱がせようとした。
ゾロのほうがびしょびしょだよ、とサンジは言って、ゾロのシャツに手をかけた。
脱がせっこしてるみてえとゾロが笑って、サンジも笑った。
そして脱がしっこをした。
ゾロの肌は冷たくて、つめたいと言えば、
ゾロは、おまえも、つめてえよと笑ったのだ。
そしてまた、くーっと抱きしめられた。
つめたくてつめたくて、サンジも笑った。
ゾロのことを考えるとどきどきしてとまらなくなる。
でもそれは、ゾロがもしいまこのときにも時空パトロールに捕まっていたらどうしようとか、
壁をすり抜ける間に自分がどうしても耐えられなくなって
こっそり見ちゃったらゾロはどうなるんだろうとか、
壁の中にほんとうに人がいるなんてすごいことだとか、
考えるとどきどきするのであって、ゾロがどうとかは、関係ないように思う。
ゾロがお尻の穴を突付いたりするのは、気持ちが良くて、だからはっきりと好きと言える。






ベランダに続く窓の鍵を閉めないおまじないをするようになってから、
ゾロはまた毎週のように現れるようになった。
サンジが眠っているときに現れて、100数える間にまた消える。
毎週それが繰り返される。
それに合わせて、なぜか下着が毎週一枚ずつ、減る。






ゾロの性器はみたこともないほど大きい。
あごが苦しくて舌の先がしょっぱくて、頭を押さえ込まれて、
お昼に食べたパスタがぐえーっと喉まで出てきそうになって慌てた。
慌てて頭を引いたのに、ゾロの力はすごくて、
えずいたままの喉に、生温かい汁が入って来る。
はあはあはあと息をするゾロに、抱きつくと、
ゾロの指はゆるくゆるくお尻の穴を撫でる。
ああん、と喘ぎながら、サンジは、こんなウンチをする穴なんか、
撫でられて、女の子みたいな声出してて、
すごく変態っぽい、と思い、腰のあたりをむずむずとさせた。
摘んだ乳首を、舌の先で舐められもする。
ちゃんと摘んでろ、と言われてサンジは震える手で一生懸命そうする。
お尻がむずむずする。早くここも舌でぬるぬると舐めてくれないかなあと思っていても、
恥ずかしいので言えない。むずむずとさせているのがばれて、
なんだよそっちを舐めて欲しかったのかよと言われるだけで恥ずかしいのに、
そんなこと強請れない。真っ赤に腫れてきた乳首に、息を吹きかけられて、
涙が出そうになる。お尻はむずむずして止まらなくなる。
飲みたい。お尻の穴から精液を、そして口から、おしっこが飲みたい。
思っただけで意識が飛びそうになる。
はじめておしっこをかけられたときには、驚いた。
ゾロに嫌われたのかと思いもした。濡れた体で呆然とした。
なのに体中に塗りたくるように手のひらを動かされ、
全身がおしっこ塗れになるころには、
お尻がむずむずして止まらなくなり、おしっこが出そうになった。
おしっこ出そうと言えば、ゾロはやさしく
出しちまえとおしっこ塗れの手で頭を撫でてくれた。
背骨のところからぞくぞくぞくと何かが駆け上がってきて、
あ、と言いながらおしっこをした。
出たのはおしっこと、それから白い、
いつもゾロに飲まされてるしょっぱい汁だった。
「飲め」
顔に生温かい液がじょぼじょぼじょぼとかけられる。
ゾロの性器から尿が流れ出るのを見つめながら、舌を伸ばす。
床が汚れて濡れた。気持ちがいい。
このまま眠ってしまって二度と起きられなくてもいいとさえ思える。
性器がぴくんぴくんと震える。
ああまたおしっこ出そう。白いおしっこも、出ちゃいそう。
「でちゃう」
ゾロの唇に性器を押し付けた。
そのまま気絶してしまいそうなほど口の中は温かい。
腰が何度も震えた。ゾロは目だけで笑い、
黄色と白の、おしっこを飲み干した。
「ゾロぉー」
そのときドアががちゃりと開いて、ポーラが部屋へと入って来た。
部屋の中には水溜りが出来ていた。裸のまま、サンジは立ち尽くした。
「帰ってこないんじゃなかったの?」
掠れた声で言った。どうしよう、見つかっちゃう。慌てて振り返ると、彼はもういなかった。
「なにやってるの!」
ポーラの怒鳴り声が響いた。






水曜日が待ち遠しかった。
水曜日までの一週間、壁を見つめて、ゾロの名前を呼んで過ごした。
腰を押し付けて、性器を擦り付けたりもした。
木曜日も金曜日も土曜日も、サンジは毎日うつろな気分だった。
ゾロが来ないから。
ゾロにお尻の穴を撫でてもらったり、おしっこを飲んでもらったり、できないのだ。
サンジは日曜日も月曜日も嫌いになった。火曜日は少しだけ楽しい。
明日にはゾロに会えると思うだけで、楽しくなれる。






この間の金曜日に、街で緑色の髪の毛の人を見た。
後姿がゾロに良く似ていた。
ゾロの幻をみるほど、会いたくてたまらないのだなあ
とサンジは思って、信号を渡った。








水曜日。
目を開ければゾロがいる。
抱きつくと、頭を撫でてくれる。すぐにサンジは、
頭ではなくお尻の穴を撫でて欲しくなる。
首のところからする、ゾロの匂いに、おしっこをしたくなる。
乳首をゾロの胸に擦り付ける。ぞくぞくしてとまらない。
尖って腫れて、じんじんするそこを、ゾロの性器に擦り付けた。
「きもちいいよお」
ゾロも触ってよ、お尻の穴ぐりぐりして、ねえ。
ぐりぐりと穴に指が入って来た。
汁でぬるぬるとしだしたゾロの性器に擦られる乳首は
痛くて痛くて千切れてしまいそうだ。
にぐにぐと穴の中で指が動かされる。
「いいよぉ・・、すごいよぉ」
「舐めろよ」
突き出された性器を唇に含む。
「おいしい」
おいしいと言うたびにお尻のむずむずが止まらなくなる。
おいしいおいしいゾロのちんちんおいしいよぉ、
早く入れてよぉ、お尻の中でおしっこして欲しいよお。
そんな言葉を繰り返すたびに、性器がじくじくしてたまらなくなる。
すぐにでもおしっこが飛び出してしまいそうだ。
目の端に白い壁が見える。
ずくん、とゾロの性器が入って来る。
開ききったて皺の伸びきった穴が、それでも貪欲にもっと奥へとゾロを誘い込む。
ちんちん入れるなんてひどいよぉ、そんなの入らないよぉ、
入らないのにぃー、いやー、すごい、壊れちゃう、だめぇ、だめぇ、
あー、お尻こわれちゃう、どうしよう、おしっこも出るぅー、
おしっこ出るぅー、出ちゃうよお。あっん。
ゾロが、穴の中でおしっこをする。
お腹が膨れたようになって、気持ちが悪い。
「すき」
何かを飛び越えたようになっていたので、言った。
けれど目を瞑ると浮かんできたのは青空から降ってくるゾロと、自分の映像だった。
高いところから、空が降ってくるような、かんじだった。
空は降らない。けれど壁の中でなら、降るかもしれない。
布切れの空が、ばさりと。
すきぃーゾロすきい、目を瞑ったまま歌うように言うと、
膨れたお腹がすこし楽になるような気がした。
壁なんか、なければいいのに。毎日会いたい。毎日ゾロにひっついていたい。
すきぃー。すきぃー。繰り返した。ゾロがサンジの頭を撫でる。
このままずっと水曜日だったらいいのに。






「おや、と、兵十はびっくりしてごんに目を落としました。
ごん、おまえだったのか、いつもくりをくれたのは、
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました、
青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました」
人の声に目を覚ますと、ゾロが教科書を読んでいた。
ひどく棒読みで、抑揚のない声で、読んでいた。
また水曜日が来たのだ。
いつのまにかセミの声はしなくなり、
そのかわり、大家の庭先で、大きな木に柿の実がなった。
しぶそう、あんなのもらってもいらないわね、
とポーラが言った翌日に、大家は柿の実と、
それからついでにみーこちゃんまで抱えて、やって来た。
夏があんなに暑かったでしょう、だから豊作なのよ、甘くておいしいからおすそわけ。
大家が言うと、にゃー、とみーこちゃんが鳴いた。
ポーラの予想に反して、柿はじゅるじゅるととても甘かった。
くやしいわ、ぜったいしぶいと思ってたのに。
下着もそうよ、どうしてあたしのを、取っていかないのかしら、
28の女より、小学生のガキがいいなんて最悪だわ。
ポーラの独り言を聞きながら、サンジはじゅるじゅる甘い柿を食べた。
ゾロの手の中にいるときの、自分みたいにじゅるじゅる柿は甘かった。
クロコダイルのことを考えると、ポーラもこんな気持ちになるだろうかと思った。
教科書を読み続けるゾロの手に触れた。じゅるじゅるになりたかった。
ゾロの手は大きい。しっこしたくなったのか、とゾロが笑う。
じゅるじゅる脳みそが音を立てそうな顔で笑う。
おしっこしたいと、サンジは言った。






幸せな水曜日のドアが開かれたのは、冬も中頃の、
寒さの嫌いなみーこちゃんの声を聞かなくなって数週間後のことだった。
肌寒い部屋でも、ゾロの手に触れられれば、それはすぐに感じなくなる。
そのままじゅくじゅくに溶けて、なくなってしまいそうでこわくて、
ゾロの背中に巻きつけた腕をよけいにくーっとした。
誰ですか!あなた!というポーラの叫び声が、そのときした。
鬼のような、ひどい形相で立っていた。
あ、と言うと、とたん、お腹の中に、ゾロの温かいおしっこがかけられた。
「離れて!離れなさいよ!」
ああ、ポーラ、心配しなくてもいいよ、
これはただ、壁の中からやって来た、ああ、だめだ喋ってしまったら。
床に寝転び、下半身すっぽんぽんのまま、お腹を膨らませ、
サンジは泣きたくなった。なにをどう説明していいのか、わからない。
「警察呼びますよ!」
背中がひゅっとなった。やめてやめて警察なんて、
ゾロが壁の中から来たってばれたら大変なことになってしまう、
それだけはやめて欲しかった。
やめてやめてと言いながら、サンジはポーラの足に縋った。
やめてやめておねがい、ポーラ。やめて、ポーラ、
壁の中のことはひみつなんだよ。誰にも言っちゃいけないんだ。
ゾロはそんなふたりを見つめ、やがて窓を開けるとそこから飛び降りて去っていった。
どうしよう、大丈夫だろうか。壁の中へ、きちんと戻れるだろうか。
またここへ、来るだろうか。
半狂乱のポーラの足に縋りながら、思った。
「…あんた、ロロノアじゃない」
ポーラが、呆然とした声でそう言った。
からからと音を立てて崩れていった壁に埋もれていくような気分だった。






本物の、けぶるような冬の空から雪が降る。
あれからポーラは水曜日も、毎日毎日、家にいる。
それでも決まってサンジは、水曜日に壁を叩いた。
撫でた。擦って、泣いた。
壁はうんともすんともくにゃりともせず、ポーラが言った。
やめてよ、気が狂いそう。
「そんなとこ叩いたってなにも出てこないわよ」
「ポーラは知らないだけなんだ」
「やめてよ、そんな話。聞き飽きたわ」
「知らないんだ。でもほんとは喋ったらだめなんだ」
ポーラが知りたいって言うから、教えてあげたのに。





水曜日がやって来ては去って行く。





そして、その緑の髪を見つけたのは、雪の降った水曜日だった。
世界は真っ白で、空気はつきんつきんと冷たくて、
緑の髪に、サンジの胸もつきんつきんといった。
ポーラが、ごめんね、会えなくて、ごめんね、
でも、会いにいけなくて、ごめんね、叩いても、撫でても、擦っても、会えなかったよ。
世界はただ真っ白だった。
緑の頭はゆっくりと一定の速度で歩いていく。
つきんつきんという胸が、こころの中のささやきを、言葉にさせてくれなかった。
走り出そうとする足をもつれさせた。
ゾロにとってははじめてかもしれない、
本物の雪が積もった白い世界で、つきんつきんと痛む胸から、息を吐いた。






ロロノア、と書かれた表札は、汚れていてその文字が見えにくかった。
ドアを開ければかび臭い匂いがむうっと鼻を突いて、
カーテンの閉め切られたそこに、男が座り込んでいる。
「ゾロ」
顔を上げて、男はかなしそうな顔で笑った。
「壁の中に、帰らなくていいの?帰れないの?どうしてここにいるの?」
「ずっとここにいた」
男がカーテン越しの空を、見上げるようにして言った。
部屋がうすく暗いから、こんな気持ちになるのかとサンジは思う。
壁の中はほんとは、空なんかなくて、
蛍光灯も差さなくて、狭くてさみしいこんな場所かもしれないと思った。
狭くて暗くてさみしいからかなしい顔をしてしまいたくなるそんな場所。
「壁の中なんて知らねえよ。見たことも、行ったことも、あるわけねえだろ」
「じゃあ帰らなくていいの?」
男の足元に、見慣れた下着が積まれているのに気づいた。
「壁の中に、もう消えてしまわなくてもいいの?」
雨の音だけがする。カーテンの外は、
ほんとうに雨が降っているのだろうか。
壁の中のここでは、どこかの短波ラジオから、
聞こえてくる音なのかもしれないとサンジは思った。
壁の外でも、ここはこんなに閉ざされた場所なのだ。
「ねえ、壁なんていらないよ。壁なんかなくて、ゾロと引っ付きたい。ずっといたい」
逃げるか、と男が言った。
どこに?
壁の中に?
「そこに、ふたりで」
壁を指差し男は言った。
白い壁をサンジは眺めた。
なんの変哲もないただの白い壁。静かで、くにゃりともしない。
「空なら、オレが描くよ。朝日も夕日もぜんぶ描くよ。セミの声も出来るよ」
男がうすく、笑った気配がした。
「だから、どこにも行かないで」
100まで数えれば、ほんとうに、消えてしまいそうな顔で、笑った。






終わり