レイモンサアワァ(中)

 

 

 

 

 

 

サンジがタイへ行って3日目、きくらげがさみしそうに鳴く。泣いてるようにも見える。

たった3日だぞ、あと5日はあるんだぞ、と励まし合った。

いまや猫と俺の絆は深い。

それでも、好物のプリンを食べてもひどく味気なかった。

ソファーがやけにでかくかんじて、キッチンの静けさも、この気分をいたずらに膨らませる。

ビビに、良かったら明日ご飯食べに行きませんか、なんて言われても、生返事しか返せなかった。

営業に行った先の病院の中庭でぼけっとじいさんばあさんの日光浴を眺めながら、

あいつは俺とこういうものになりたいのか、なるほど、と思ってみたりした。

ふざけてる。

じいさんになるまでの時間は一体どうするのだ。

穏やかにこうして過ごせる時間が訪れるまでの数10年をどうするつもりなのか、

あの馬鹿は、考えていないに違いない。

友情なんてくそくらえだ。

夏の陽射しが濃く、足元へと影を作る。

 

 

 

「そういうのってあたしの範囲外だもの。それにどうでもいいの、あんたの恋バナとかって。」

あたしの部屋に、ワンピース残ってなかったかしら、あれお気に入りだったのに、

探してもみつかんないのよ、と突然にナミが電話をかけてきた。

サンジの話をすると、興味もなさそうに、

ワンピース以外はどうでもいいというような返事をされた。

「友達から発展するのって、ほとんどないわね。

というか、もっと言うと、体からはじまるってのもないわよ、知っといて。」

「じゃあなんだよ。望みなしかよ。」

「知らないわよ。」

「知っとけよ。俺にどうしろってんだよ、友達だぞ、友達。」

「幼稚園並よね。」

「おまえは、どうだったんだよ。」

「ふふーん?あたしがあの幼稚園児とどうやって来たのか、知りたいの?」

「ふつう言わねえだろ、友達になりたいやつに、友達になりてえとか言うか?」

「言わないわね。」

「あいつなんでああなんだよ、どうにかしろよ。」

「でも、あたしは女だったし。サンジくんね、男より女の子のほうが得意なのよ。」

「友達少なそうなかんじだよな、あきらかに。」

「うん、遠慮っぽい上に、

なんかさ、気持ちを言葉にするの苦手っぽいのよね。

だけど、女相手だと、埋められるじゃない?

体で、隙間を埋めているって錯覚起こせるでしょ?」

「まあな。」

「その錯覚を信じちゃってる部分があるのよ、サンジくんて。

なんていうの?まぼろしを追いかけてるかんじ?

そもそも最初っから感覚的に生きてるような人だし、

体が先にくるのよね、それが男相手だと頭で考えて動かなきゃいけないと

思ってるっぽいところがあって、そこらへんがばっかよねえ、とは思っていたんだけど。」

「ふうん。」

「そんな人を男のあんたがどうこうしようっていうのが

そもそも間違っていると思うわけよ、あたしは。」

「わかりきってることはいいんだよ、アドバイスよこせ。」

「あんた国際電話の料金加算させて、

そのうえタダでアドバイス貰おうなんてずうずうしいんじゃないの。」

「同居人のよしみって言うだろ。あいつに申し訳ねえって

すこしでも思ってたらアドバイス寄越せ。幸せ願え。」

「えっらそうに。だいたいいまは同居人じゃないしね。

サンジくんの幸せイコールあんたの幸せってのが気に食わないのよ。

でもまあ、分岐点の話で言えば、ねえ、分岐点って、

いま思えば、っていう人生の重要なポイントのことを言うでしょう?」

「ああ。」

「それはいつも向こうからやってきてるみたいに思えるけど、

選び取っているのは自分自身じゃない?」

「あー。」

「しっかり聞いてよ、アドバイスでしょ。」

「わかってるよ。」

「でも、こっちから突撃して行って、選び取っても、それは分岐点よね。」

「あたりまえだな。」

「そうよ、あたりまえでしょ?だからさ、なにかを変えたかったら、

選び取る事態がやってくるまで待ってる必要もないってことよ。」

「わかりきってる話すんなよ。」

「わかりきってても実行しなかったら、わかっているとは言わないの。知っておきなさいよ。」

 

 

 

 

サンジが、友達になりたいというのなら、友達だってかまわないのかもしれないのだ、ほんとうは。

飯食って酒飲んで、笑って、そういうことを繰り返してじじいになったら縁側で茶でも飲む。

ほんとうは俺だって、そういうものになりたい。

なってやりたかった。

それが、あいつの望みならば、いくらだって。

誰より近くにいて、喜びを分け合い、悲しんで一緒に泣いたり、苦しい夜には手を握って眠る。

友達の、すごいやつになりたい。それを思うと、胸のあたりが押しつぶされそうになる。

サンジのあの体温の低い手。

あれが自分の手によって温められることを考えるときの、甘いような痛いような変な気分に、似ている。

友達だっていいじゃねえか、とあれからなんども考えた。

けれど、では、俺のこの、物足りなさはなにが埋めてくれるというのだ、と思うとそれはすぐに打ち砕かれてしまう。

友情なんて、くそくらえだ。

寒気がする。

安心出来る居場所だと思われているのが嬉しいのと、

それから、苦しいのと、その狭間で唸り続ける俺は、どうしたらいいというのだ。

親愛の情なんかをとっくに越えてしまっているいま、体温の低い体に触れる自分の手の動きが

どうやったって、サンジが好きなのだ、と叫ぶ、そして指の先から痺れて行く。

埋まらないなにか、それが、友情ではだめだ、と訴えかける。

けれど、友情と、恋の、その分岐点は、一体どこにあるのだろう、それがわからなかった。

 

 

国際電話のサンジの声は、すぐそこからするように、近い。

受話器を持ったまま、ベランダに出る。

夏の夜の匂いがして、黒く川が流れるのが見えた。

「サンジィー、フォーン、ホーム。」

これっきりってくらいの間抜けな声がして、アホはどこへ行こうがアホなのだ、

と感心しながらも、必要以上に受話器を固く、握った。

「相変わらずアホ全開だな、おまえ。」

「飛行機のなかでE.Tのさ、特別篇やってて。元気?」

なまぬるい風が頬を撫でる。

申し訳程度の星空に、バンコクの空はもっと星が、輝いて見えるのだろうか、とそんなふうに思い、

声がこんなに近くに聞こえても、遠い、というこの距離が、まるでなにかを象徴している気分になる。

なにかといえば、それは、サンジの想いと、俺の、差に他ならない。

「ああ。」

「おまえじゃなくて、きくらげ。」

「ああ。」

「さみしくない?」

「別に。」

「おまえじゃなくて、きくらげが。」

川風は、ゆるく昼の名残の暑さを含む空気を動かして行く。

バンコクのそれは、きっともっと、肌に絡みつくようだろうか。

「さあ。」

「空飛べるかと思ってたのになあ。」

「なんの話だよ。」

「自転車に乗って、空ほんと飛べるかと思ってさー、猛スピードで近所の肉屋に突っ込んだことあんだ、俺。」

「馬鹿だな。」

「でも本気だったんだよ。」

「だろうな。」

おまえだからな。

そう言おうとして、けれど出来なかった。

サンジが、なにかを言わなきゃいけないと必死になって話題を作って、

時間を引き延ばしているのがわかって、そのことが唐突に、胸を詰まらせたのだ。

想いに差があるとしても、こんなふうにもどかしく思う気持ちは一緒だと感じて、苦しかった。

苦しくて、なのに、幸せだった。

「それに、呼べば来るかと思って、E.Tも呼んだ。あの機械まで真似して作ったんだぞ。」

「アホだな。」

「でも、来なかった。」

「そりゃそうだろ。」

あんな宇宙人じゃなくて、俺を呼べばよかったのに。

そうすれば、なんだって蹴散らして、悪いものから引き離してやることだって、出来たのに。

「電話って便利だな。」

「ああ。」

「繋がったときさ。」

「ああ。」

「ゾロの声がして。」

水面に明かりがゆらゆらとして、川は絶えず、海へと行く。

「なんか、すっごい。」

もっと、もっと、世界のどこにいたって、たとえ友情だとしても、

こいつも俺を思って、会いたい、なんてせつない気持ちになればいいのに。

バンコクの熱気の中で、そう思えばいいのに。

「なあ、喋んなくていいから。」

切らないで、とサンジは言い、俺は、

いまはもう21世紀だというのにどうしてどこでもドアがないのかと、かなり本気で、考えた。