ピクニック

 

 

 

 

ゾロに会いたいとルフィがうざいので家につれてくることにした。

隅田川がうららかに流れる、真夏日。

サルは7回目のベルで眠そうに、あー、サンジィー、とすっとぼけた声を出す。

「日曜日昼に、月島の駅。」

「おー。」

「って言ったじゃねえかサル。おまえは脳みそもサルか?」

「悪りい悪りい、目覚まし忘れた。」

「ばーか。でもいいよ、ゾロいないし。」

「えー。」

「デートだって。」

ビビと会う、なんて世界一すかした顔でゾロは午前の早い時間に出掛けて行った。

昨日の夜着てく服を選んでやったのは俺なのに、

なんとなく出掛けて行く後姿にむかついて、

むかついたので朝から飯を3杯も食ってしまって、それで胸ヤケがする。

気持ち悪い。

「つっまんねえー。」

「俺もー。だから早く来いって。」

「おー、わかった。すぐ行く。」

「電車乗る前に電話しろよ。」

「わかった。じゃあな。」

「あとでな。」

こんなに晴れているのに、ゾロがいない。

 

 

 

パスタと、ヤキソバと、ビーフンを並べて出すと

サンジ、おまえ馬鹿だなあ、とルフィが言う。

ベランダからは川が見えて、汚い汚い海へつながって流れて行く。

「だってさ、飯食いすぎて、見るのも嫌なんだよ。」

「ふーん。」

ベランダに皿を並べて、布を敷いて、サルとピクニック。

きくらげがルフィを伺いながら俺の腰のところでもぞもぞと動く。

すごい勢いでパスタもヤキソバもビーフンもルフィの口のなかに消える。

人がモノを食うのを見るのが好きだ。

人がモノを食うだけの映画があったとして、たとえそれが5時間の超大作でも俺はきっとあきないと思う。

そいつがたとえ泥棒でも殺人犯でも、飯をうまそうに食えるだけで救いがある、とジジイはよく言っていた。

「いいか、チビナス。」

ジジイは俺が高校のときに死んだ。食道ガンだった。

「いいか、食うっていうのはすなわち生きることだ。

美味そうに食うってことは、そいつが人生をあきらめていねえって証拠だ。わかるか、チビナス。

先へ、先へ、行こうとする意志がたとえ本人が気付いていなくとも、あるっていうことだ。」

ジジイはあんなに食にこだわっていたくせに、最後はほとんど飯なんて食えなくて、点滴なんてもんで生かされていた。

食うってのが生きるってことなら、あのときすでにジジイは死にかけていたってことになる。

ジジイの病院に行ったそこで、プラスチックの容器に入ったまずそうなおかずとかが

でっかいワゴンで運ばれて行くのを見るのが1番、嫌なことだった。

管理される体と、強引に引き伸ばされる命。

ブロイラーのニワトリを思った。

食うってことが生きるってことならば、もっと素晴らしく生きていきたいと思う。

工夫を凝らして、そして、感謝して。

料理をするのが好きだし、人の食うのを見るのが好きだ。

生きているのだ、と実感する。人も、自分も。

ルフィがゾロの顔を見てみたい、とうるさいのでこの間に撮ったポラロイドを見せてやることにした。

取り寄せた伊勢海老が送られて来たその日に、映画の登場人物を気取って撮った写真だ。

海老とゾロが一緒に写っているその写真。

「うーん。」

一目見て、ルフィは難しい顔をした。

「なんだよ、なんか文句あんのかよ。」

「サンジ、おまえさー、こういうの1番苦手じゃん。」

「こういうのってなんだよ。」

「こうさー、笑わなそうで、喋らなそうで、んー、こういうのなんていうんだっけ。

シャンクスがよく言うんだけどさー、えっと、あっ、そうだ。とっつきにくいシトってやつだ。」

「んー?」

「サンジはさー、人のことすっごい見るだろ?それでとっつくそのキッカケってのを探すじゃん

・・・・ってシャンクスが言ってたんだけど、だからさあ、こういうやつはサンジ1番苦手じゃねえのか?」

「おまえら親子は。人のこと分析すんの、それ、趣味か?」

「違えよ。シャンクスも、俺も、サンジのことが大事なんだ。」

「それは・・・・、知ってるけど。」

会社の社長で、ルフィのオヤジであるシャンクスはジジイの古い知り合いだった。

ジジイの死後、不安定でどうしようもなかった俺を見かねて

東京に来るように、と誘ってくれたのは、あの赤い髪の派手なおっさんだ。

あのときはじめて俺は、あんな綺麗な、赤い色を見た。鮮やかで、強かった。

だから病院の辛気臭い空気に、あのおっさんの赤い髪は似合わなかった。

最後の最後に、俺はジジイにどうしても、言いたいことがあったのに。

ジジイは、言わんでいい、と言った。空気だけの、弱弱しい声で、言った。

シャンクスは、その弱弱しい声に、俺のことを、ジジイから頼まれたのだ。

承諾した、だから大丈夫だ、という強い声の響きも、

あの死にかけた人間の発する匂いのこもった狭い個室には似合わなかった。

病院の、あの空気を、雰囲気を、俺は憎んでいると言ってもいい。

だから、だ。

だから、ビビちゃんが看護婦さんだから、ムカムカして、胸ヤケがするのだ。

ゾロの写真をじっと見ていたルフィがようやく顔を上げて、

でも悪人じゃないから、大丈夫だな、きっと、と笑った。

「おまえのは当たるからな。」

「こういうの商売になんねえかな?」

「どんな商売だよ。」

「わかんねえけど。」

どうでもよくなったのか写真を放り投げ、ビーフンを食べ始めるルフィの横顔を見つめた。

こいつはいつも、力強く、飯を食う。それは生き方に、その姿勢に、似ている。

「きくらげってうまいよな。」

いつのまにかきくらげはルフィのあぐらを組まれた足の間に入り込んで眠っていた。

「こりこりしててなあ。」

「猫の背中、ここもこりこりするぞ。」

そう言ってサルは猫の背中をつまんで、いじる。

目を覚ましたきくらげは、にゃ、と抗議の声を上げる。

「いじめんなよサルー。」

「猫いいなあー。」

「おまえはサルだよなー。」

「なんか眠くなるなー。」

「そうだなー。」

「ゾロ遅いなー。」

「遅いだろー。まだ4時だしなー。」

「泳げるかなー。」

ルフィは眩しそうな顔をして川を眺める。

Tシャツの裾がはたはたとなびき、黒い髪もぐしゃぐしゃに風に煽られる。

「無理じゃねえかー。」

「オレンジー。」

グラスを片手にルフィがオレンジを寄越せと手を伸ばす。

ルフィの家には千疋屋のフルーツが常備されていて、

シャンクスの趣味でシャンパンにそれを絞って飲む。

あのおっさんは嗜好までイタリア人っぽくて、徹底している。

自分のことをドン・ファンかなんかだと勘違いしている以外は、イイヤツだと思う。

「おまえんちのオレンジとシャンパンは重宝するよなー。」

「シャンクスがさー。」

「んー。」

「サンジくん最近明るいって言ってたぞー。」

「そっかー。」

「それってさー、やっぱゾロのせいかー?」

「どうだろなー。」

わかんねえけど、と言うとルフィの手が頭を撫でる。

「サンジ頭ちいせえなあー。」

「赤ちゃんの頃ころころころころよく転がされたからなー。」

「そういえばシャンクスがさー。」

「あー。」

「サンジにはじめて会ったとき、スカンジナビア半島だって思ったって言っててさあー。」

「なんだそりゃー。」

「俺もなんだそれって思ったけどさあー。」

「思うだろー。」

「スカンジナビアだよなー、サンジィー。」

「わかんねえぞー。」

新潟の海岸には、ロシア人がいた。

色の薄い髪も、白い肌も、家族の誰にも似ていなかった俺は、

母親がロシア人との間に作った子供だろう、と噂される中で育った。

田舎では、そういうアホくさい話が信憑性を持ち、そしてかっこうの暇つぶしのネタにされる。

ついに耐え切れなくなった母親は、俺を残して家を出た。

残ったのはジジイと、俺。

ジジイの息子、俺の父親のその男は、とうの昔に死んでしまって、居なかった。

田舎が嫌いだった。都会に行きたい、とずっと思っていた。

理不尽な見えない暴力よりも、都会で起る犯罪のほうがずっとわかりやすくていいと、思っていた。

中学にも、高校にも、馴染めなかった俺は、授業をサボってよく海岸でぼうっとしながら時間を潰した。

そこにはロシア人がいた。

色の薄い髪をして、白い肌をした、外国人。

彼らは俺にロシア語を教え、俺は日本語を教えた。

粗末なコミニケーションは、それでも学校の連中や近所のばばあよりもずっと良かった。

ロシア人を、わけのわからない理由でずっと憎み続けていた俺がそこでロシア語のほかに学んだことがある。

人は、心の持ち方によって、どんなふうにでもなれるのだ、ということだ。

それを思い、はじめてジジイの言葉が胸にすとん、と降りてきた。

どんなふうにだってなれる。だから、心は健康でなければいけない。

美味い飯を食って、偉くなくとも、正しく生きるのだ。

田舎を憎んでいたけれど、忘れることは出来なかった。

帰りたくないけれど、帰りたかった。

帰ってもなにひとついいことは待っていないとわかっていても、

あの海の風を顔に浴びることをときどき、無償に体が欲するのだ。

育った土地、というものは、心に大きな影響を与え、その人間を造り出す。

シャンクスの言葉だ。

俺の心の中には、寒さの厳しい海岸があり、ときおりそれが、ごう、ごう、と大きな音を立てる。

激しすぎて、心が休まらない。

川の穏やかな水の流れに憧れて、このあたりに住むことに決めたのは3年前だ。

それでも海は出て行かない。心にとどまって、ずっと、ごう、ごう、と音を立てる。

「これって海につながってんのかなー。」

「さあなー。たぶんなー。東京湾あたりじゃねえー。」

「じゃあスカンジナビア半島にもつながってんなー。」

「だからそれがなんだっつーの。」

川を、船がゆったりとゆっくりと渡って行く。

「あー。船ー。おーーーーーーい。」

「あれさー、ときたまタイタニックごっこしてるヤツとかいて笑えるぞー。」

「タイタニックって眠くなるよなー。」

「無駄に長いからなー。」

「退屈だしなあー。」

「でもあそこは泣くぞー。オーケストラが曲弾き続けるとこ。」

「ふーん。」

「ゾロ遅いなー。」

「俺なにしに来たのかわかんねえよー。」

「俺だけじゃ不満かよーう。」

「猫もいるしなー。」

「なー。」

この川は、新潟のあの海にも続いているだろうか。

愛してる、と言いたかった。愛してくれて、ありがとう、と伝えたかった。

あの、頭の固い、ジジイに、言ってやりたかった。

言わんでいい。

わかっている、だから、言わんでいい。

正確にはそうだろが、あんのクソジジイ。

言葉が短過ぎんだよボケ。

「ばかやろーーーーう!!!!」

川に向かって、叫んだ。どうしようもなくなって、叫んだ。

ゾロがいけないんだ、たぶん。

ビビちゃんとデートだなんて言うから。

だから病院の消毒液と入院患者の体臭と、不安と、

すべてが交じり合ったあの匂いを思い出してしまったんだ。

「なんだ、どうした。サンジ。」

「アホくせえ。なんかもう、アホくさくてやってらんねえ。」

「やってらんねえのこっちだろー。ゾロいないし。」

「ゾロゾロってゾロがそんなに好きかよ、ばーか。」

川は海へと続く。

自分はいったいなぜ、こんな場所にいるのだろう、と思えてくる。

ひとりだ。どうしようもなく、ひとりだった。

ルフィやシャンクスが俺を大事だって言ってくれても、それでもひとりだと思った。

「拗ねてんのか?」

「ばっかじゃねえの?」

「拗ねてんだろ?」

「ねえよ。」

「あるよ。」

「ねえって言ってんだろ?」

「拗ねんなよ、サンジのこと、ちゃんと大事だからさ。」

心の中で、ごう、ごう、と風が吹きすさぶ。

「お、また船だ。」

ふたりで、手を振った。

顔中に風を受けて、手を振った。

見知らぬ人が、手を振り返す。

すれ違う、それだけの人々。

それでも、顔に当たる風の確かな強さだけは、おなじように感じているはずだった。

そうやって、人々は深く孤独のさなかに手を振り、すれ違う。

 

おわり