ヒナちゃん















ぼくのおねいちゃんのおしごとははAVじょゆうです。

いつもいつも、からだがたいへんといいながらもいっしょうけんめいがんばっています。

そしておねいちゃんはえんぎがとてもじょうずです。だんゆうさんのおおきな

おちんちんをいれられても痛いだけなのに、おねいちゃんはすごくきもちよさそうにするのがとくいです。

それにおねいちゃんは、と、そこまで読み上げたところで、先生が、むずかしい顔をして、

はい、よくできましたね、次、ロロノアくん、と後ろの席のゾロを指した。

黒板には、はたらくぼくのわたしのおとうさん、と書いてある。父の日の特別企画ってやつだ。

学校ってのはほんとうにくだらないことを考える。

その後、呼び出しをくって、ヒナちゃんのことをねほりはほり聞かれたあげくに、

けっさくだった作文はボッシューということになった。

ヒナちゃんの素晴らしさをちっともわかろうとしない先生なんか、きらいだ。

 

 



 

 

 

 

「えー?ゆっちゃったの?」

「うん、ゆった」

「演技だって?」

「ヒナちゃんがえらいって言った」

「だめじゃん、演技だってバレたら売上もレンタルも減っちゃうよ」

「うそ!」

「ほんとほんと」

ヒナちゃんが髪を乾かしながら言う。

ドライヤーの大きな音に負けないくらい大きな声でだ。

「やっぱ演技かなー、でもこいつだけは本気でよがってんだよなー、

ああ俺のヒナちゃん最高だぜ、うっ、ってねー、

うそとほんとの狭間で揺れる男心をゆさぶるのー」

ブオオオオー、と熱風の吹き出す音と、舞い散るようなヒナちゃんの色の薄い髪。

おれと、おなじような、だけど長い髪。

ヒナちゃんとおれは、形や色がどこもかしこも一緒で、だけど父親だけが違う。

「それが出来なくなっちゃったらさあー」

夜中にこうしてヒナちゃんとおれはだらだらと時を過ごす。

夜に起きているのが好きだ。

寝るなんてもったいないと思う。

だって夜には、王様になれる。

夜の国の王様だ。

洗面所につくったちいさな王国に、ヒナちゃんとふたり、女王と、王子。

毛布とタオルケットと、ラジカセと、飲み物とおやつで出来た、王国。

その王国は熱風に晒されていまにも壊滅の危機だ。

むわむわむわっとシャンプーの匂いと、高い温度と、湿気、

ラジオからは、つまんない喋りのDJの喚く声。

「うそだって知ってるんだったらいいじゃん」

「うそだって知ってるんだけど、うそじゃないかもってこぴっとだけ思ってるの」

「こぴっと?」

「ちょぴっとよりもっと少ないの」

「じゃあやっぱりうそだって思ってんじゃん」

「ううん、そのこぴっとが大事なの」

「わかんない」

「わかんなくていいよ」

「ふかいの?」

「深くないよ、複雑なの」

「大変だね」

「だからヤバイよ、電気止められてー、ガス止められてー、水道止められてー、飢えて死ぬの」

「ええ?お風呂どうすんの?」

「入れないよ」

「えー?」

「うんちも流せない、・・かも」

首をかしげてヒナちゃんが言う。

それは大変だ、きたないし臭い。

俺が目をまあるくすると、ヒナちゃんが笑った。

「びっくりした?」

「すごくした」

「じゃあもう、ゆうのなしね」

「ゆわない」

ヒナちゃんが高校3年の冬に、おれ達は、家を飛び出した。

3番目の父親にさよならをするために。

寒い寒い朝で、誰もいない駅のホームで、胸は冷たい空気にツキツキとした。

「寒いね」

缶コーヒーを飲んで、ヒナちゃんは言った。

とりあえず、東京かな、渋谷とか、行ってみたいね。

東京は遠くて、夜になってもまだふたり、列車の中にいた。

線路の音を聞きながら、おかあさんに100回、ごめんなさいを言った。

そして彼女の愛すロクデナシに、流れる夜の景色を眺めながら、くたばっちまえ、と100回も、唱えたのだ。

銀河鉄道のように、きれいな星みたいに見える明かりの粒は、見えてはすぐに遠ざかった。

 

 

 

そのへんの女が1000人束になったって敵わない(とヒナちゃんが言った)ナイスバディと、

ブスが思わず自殺を考えるほどのびぼー(とヒナちゃんが言ったのだ)で、

ヒナちゃんは生活費を稼ぐ。

「まんこひとつで天下とってやるわよ!やるわよ!やってやるわよー!東京一は日本一なのよー!」

ヒナちゃんはとても逞しい一家の大黒柱だった。

ヒナちゃんが生活費を稼ぐかわりに俺がご飯を作り、

ヒナちゃんの、なにこれ!ってかんじの下着を手洗いしてあげたり、

朝顔がむくんでいたら冷やしたタオルを用意してあげたりする。

ヒナちゃん曰く、持ちつ持たれつってやつよ、ということらしい。

だけどビデオの中じゃあんなにあばずれのヒナちゃんも、畳み屋さんのスモーカーさんには声もかけられない。

それでも、たまに道ですれちがったり、挨拶なんかされたりすると、一日中にこにこしていて、すごくかわいいのだ。

そして畳み座布団に顔を押し付けてその匂いとか嗅ぎながら、こっそりオナニーとかをしてる。

 

 

 

 

「ゆでたーら、かわをむいーてー、ぐにーぐーにーとっつーぶ、せー」

たまねぎとかベーコンとか、炒めてる俺の横で、ヒナちゃんが歌を歌った。

「つぶすの、ヒナちゃんの係。まかせた!」

「まかしとけ!」

「でもつぶしすぎてひとかたまりにすんのなしね」

「しないよ」

「前やったじゃん」

「もうやんないよ」

「でもヒナちゃんやりそうでこわいよー」

「だって!」

ヒナちゃんが突然の大声を出した。

びっくりして、思わずたまねぎやベーコンを炒める手を止めてしまった。

「だってあの人のこと考えちゃうんだもん!」

大声を出す人に、大声で言ってもわかんない、それを俺は痛いほど知っている。

ゆっくりしずかに言った。

「考えないようにしてよ」

「無理だよ」

さっきとまるで違う、泣きそうなしずかな声でヒナちゃんが言った。

「無理でもじゃがいもはやめてよね」

自信作になりそうなのに、とつづけてヒナちゃんの手もとを見た。

「あ、またつぶしすぎてる」

「だって考えちゃうんだもん!」

ボールを置き去りにしてヒナちゃんは部屋へ走って行って、そのまま閉じこもってしまった。

やれやれ、と思いながら俺はつぶしすぎたじゃがいもと、かんぺきなかんじに炒まった具を混ぜた。

ヒナちゃんはときどきこうして困った人なのだ。

 

 

 

ヒナちゃんは自分のことををよく、せっけんに例えたりする。

いつも勝手に包装紙を破かれて、みんな使いたいだけ使って手を洗う。

そうしてまあるくなって小さくなったヒナちゃんを、それでもみんなは使いたがる。

そのうちぺらぺらの紙せっけんみたいになったヒナちゃんは、

誰かの鼻息で飛んで行ってしまいそうに薄っぺらく、ちっぽけなんだって言う。

そういうときのヒナちゃんは弱虫ヒナちゃんだ。

弱虫ヒナちゃんはヒナちゃんの中にいて、いつも眠っている。

だけど誰かのいじわるい一言やまずいご飯や、道路に転がされたままの

朝挨拶をかわしたばかりの猫の死体なんかを見たときに、

欠伸をかみ殺しながら起きてきて、目を覚ましたとたんに、ヒナちゃんの中にかなしい気分を撒き散らす。

 

 

 

 

ロロノアさんちの奥さんが、野菜を炒めているのはロロノアさんちの台所。

「野菜ばっか」

台に乗っかって、鍋を覗き込んだら、夏の野菜がぼこぼこ入ってて、ゲエ、と思った。

「野菜も食べなきゃだめよ」

ロロノアさんちの奥さんが言う。

「ばっちりだよ。食べてるもん。シズラーで食いだめしてんの」

「週1回のサラダバーじゃ、次の日うんこになって終わりよ」

「マジで?」

「そうよー、だから、食べるの」

ロロノアさんちの奥さんは、おかあさんみたいな言い方をする。

「ういっす、食べるっす」

敬礼するみたいにして言った。

炒めた野菜に水を足し、ロロノアさんちの奥さんが訊ねる。

「味付け、サンジくんがする?おばさんしてもいい?」

慌てて頭を振った。

「だめ。だめだめだめ。おばさんのカレーからいんだもん。オニだね、オニ」

ロロノアさんちのカレーは激カラで、辛いのに弱いヒナちゃんとおれは、水をがぶ飲みしないと食べれない。

辛いものに水、は、焼け石に水と一緒だ。(とヒナちゃんが言った)

いくら飲んでも、意味ないから。

それが焼け石に水というものらしい。

ああ、それなら体験したことがある。

逃げるしかないような、こと。

ヒナちゃんも一緒に。

だけどそういう意味じゃ、ないのかも、しれない。

「ゾロは平気で食べるわよ」

「だってあいつもオニだもん。知ってる?あいつの必殺技」

「なあに?知らない、教えて?」

「おにぎりっつーの、マジつえーの。まじオニ。くらったら死ぬ」

「すごいんだ」

「ちょーすげえよ」

「てめ、しゃべんなよ」

突然声がして、振り向くと、むくれた顔して、ゾロが立っていた。

学校以外で友達に会うのは楽しい。

おれしか知らないゾロを、おれは知ってるっていうのが楽しくてしかなたい。

給食じゃないご飯を一緒に食べたり、夜までずっと一緒にいるなんて、

うきうきと楽しくて、思わずおしりをふりふりしたくなる。

「わー、まりも菌!えんがちょー」

「てめえ」

羽交い締めにされてそのうちふたりで転がった。

リビングのテーブルに頭をぶっけたりしたけど、ごろごろ転がって、きゃあきゃあ言った。

カーテンの中に隠れても追いかけてくるゾロが、夕暮れの光が降り注いでいるせいで、

布に覆われオレンジの色をしたそこで、くちびるをぐいっと押し付けてくる。

最近、ゾロが見つけた遊び。

息が苦しくなるまで、押し付けたり、押し付けられたりする。

おばさんとか、ヒナちゃんとかに、見つからないようにする、っていうのが、この遊びのルール。

遊びにはルールがなくちゃいけないってゾロが言ったのだ。

押し付けられたゾロの唇はあったかい。

笑いながら押し付けたり、押し付けられたりしていると、おばさんがやって来て、

そういうことは中学生になってからにしなさい、とおれたちをカーテンの隙間から追い出した。

ゲーム終了。

今日の遊びはこれまで。

えへへ、と笑うと、ゾロが、ぶすっとした顔でなぜか頭を殴るので、

今度はケンカになって、またおばさんに怒られた。

いつのまにか、家中に、カレーのいい匂いがしていた。

 

 

家出してすぐの頃に住んだ家賃6万円のアパートは、セキュリティなんてありえなくて、

だんだん人気の出てくるヒナちゃんにまとわりつく男の数も増え出して、

ある日、ヒナちゃんヒナちゃんいるんでしょ、わかってるんだここ開けてよ、

とか言いながらオナニーする男の声に耳を塞ぎながら電気を消した暗い部屋の中で

じっとしていると、家の建て替えのため隣に住んでいたロロノアさんちの奥さんが、

まあ、なんですか、こんな夜中に、というかんじで扉を開けて、あなたそんな粗末なもの出して、

ヒナちゃんが出てくる前に帰ったほうがよろしいんじゃないですか?嫌われますよ、

そんな粗末なものじゃ、やだ、うちの息子より小さいわ、というようなことを喋っている間に、

息子にすらせた財布から男の社員証を取りだし名前と会社名と読み上げて、

随分いいところにお勤めなんですねえ、とかなんとか言って追い返し、

部屋に閉じこもっていたヒナちゃんとおれを自分とこの部屋へ連れ込んで、

小学校の転入手続きのことやら、売れっ子なんだったら

セキュリティーのちゃんとしているところ借りて貰いなさい、

自分で払うことないわよ、出してくれなきゃ余所行きますからとか、

ちゃんと言うのよ、という類のアドバイスをヒナちゃんにして、

翌週にヒナちゃんとおかあさんとロロノアさんの3人で話し合いが持たれ、

その結果、おれは、ロロノアさんちの息子さんとおなじ小学校に入り、

ヒナちゃんの甲斐性で家賃50万円の、

ハイパーデラックスなマンションに引っ越しをしたのだった。

もうドアにくっ付いた、どっかの誰かの精液を、

こすって落とさなくてもいいんだ、と思ったらほっとした。

その後、死んだ旦那さんの保険金でお家を

ハイパーデラックスに改装したロロノアさんちの奥さんは、

家くらい立派にしなかったら、かなしいじゃない、と言って笑い、

おれたちは、ロロノアさんをなんだかとても好きになったのだ。

50万円のマンションに引っ越してはじめての夜は、

だからロロノアさんちの奥さんと息子さんを招待した。

はりきってナショナル麻布マーケットで、

肉と肉の間に仕切りが入っているような肉を買って来て、すき焼きをした。

ヒナちゃんが、上を向いて歩こうを歌いながら準備をして、

ロロノアさんちの奥さんは、肉と肉の間の仕切りに感動して、

ロロノアさんちの息子さんは、おれをいじめて泣かせて、母親にビールをせがんで怒られたりした。

楽しい夜だった。

東京砂漠だね、とヒナちゃんと毎日言い合っていたのがウソみたいな夜だった。

だから、ロロノアさんちの奥さんが、

そろそろおいとましましょうか、と言ったときはぽつんとした。

ぽつんとして、帰らないで欲しいと思った。

それを言いたかったけど、必死でこらえて、立派で新しいすき焼きの鍋を見つめた。

だってヒナちゃんと、ふたりでがんばって行かなきゃいけない。

そう思った。

去って行くふたりのロロノアさんをベランダから眺めていたら、

ロロノアさんちの息子さんが振り向いて、言った。

「ばいばい」

バイバイ、とおれも言った。

ばいばい、とロロノアさんちの息子さんが繰り返した。

「バイバーイ」

「ばいばい」

「バーイバーイ」

「ばいばい!」

「バイバーーイ!」

「ばいばい!!」

「バーイバアイ!!!」

遠ざかる影みたいなふたりに届くように、おっきい声で言った。

何度も何度も繰り返して言った。

夕暮れに、ふたりはやがて消えて行った。

 

 

 

その夜は、ヒナちゃんとふたり、クレケンをかけて踊りまくった。

髪を横分けにして、自分の考える最高にハンサムなダンスをひろうしあったのだ。

シュビドゥバっ!恋に恋する君には!ほんとの愛の悦びっ!

おしえてあげるよAtoZー!

ハンサムなダンスはハンサムな心で踊るのよ、とヒナちゃんは言った。

だけどヒナちゃんのダンスはまるでなってなくて、おなかがよじれるくらいに笑いながら

踊っていたらおれも腰がへろへろになって、ヒナちゃんが床を叩きながら大笑いした。

ABCならわかるんだけどーそーれはいやですぅーXYZーおーやめになってー!

ひとしきり笑ったあと、ハンサムな心と目のままで、ヒナちゃんがおれを見て言った。

「どんなにえらくなっても、お金持ちになっても、忘れないでいよう。

ずっとロロノアさんに感謝しつづけられるあたしたちでいよう」

うんうん、とおれが首をかくかくいわせると、よし、と力強く頷き、

ヒナちゃんはおもむろに引っ越してそのままの、ダンボール箱をバリバリ開けて、

東京都23区という地図を取り出し、そしてとびきりハンサムな声で、

台所を指差して言った。

「サンジ、ロロノアさんちは、あっちだわ」

それ以来、ヒナちゃんとおれは、毎日北枕で眠る。

 

 

 

ロロノアさんちに畳みをしいたのはスモーカーさんで、

その仕事のすばらしさ、あれはヒナちゃんも見るべきだったと思う。

スモーカーさんはあまり喋らないけど、おれとかゾロとかが工場に入っても、黙ってそこにいさせてくれる。

真剣なスモーカーさんの横顔はカッコイイ。

肩の盛り上がり方とか、いかつい鼻とか、よく動く手とか、脱いであるおおきな靴とか、

草の匂いとか、猫の鳴く声とか、スモーカーさんのおかあさんの出してくる麦茶の味とか、

そういうものに、おれは、こんなにかんぺきに揃っていたら、あしたには消えてなくなるんじゃないかと思う。

だから毎日毎日、スモーカーさんに会いに行く。

行ってまだそこに、ぜんぶがそろっているのを見て安心する。

そして猫の相手とかをしながら、おやつを食べて(たまにスモーカーさんにもあげたりする)、

畳みの出来上がる姿を見つづける。

おれとゾロは、その畳みがまだ草みたいな状態からその畳みを知っていて、

草が畳みになる様子を見学しながら、職人さんのかっこよさについて、ゾロと話し合ったりした。

ゾロは将来、刀磨ぎ職人になりたいらしい。(そんなのジュヨーねーよ、と言ったら殴られた)

新しい畳みが敷かれる横で、スモーカーさんが、さあ、いいぞ、と言うまでふたりでうずうずして待った。

さあいいぞ、とスモーカーさんが言って、おれとゾロはきゃーと言いながらそこで

でんぐり返しとか、いもむし、とか、知ってる限りのプロレスの技をかけあったりした。

新しい畳みはスモーカーさんちにいつもする、青い匂いがした。

 

 

自転車をこぐゾロが、アイス食わねー?と言う。

「食う食う、食います!」

「コンビニ行くか」

「よし!ロロノア号発進!」

バッビューンとゾロが言い、自転車が速度を上げた。

夕焼けが向こうのほうに沈んで行く。

「バビューーウン」

この街は海の匂いがしない。

夕焼けが街に沈む。

「ガリガリ君!」

「おれも!」

「っていうか、やばめ!沈むよ夕日!帰らないとロロノアさんが怒るよ!」

夕ご飯の時間まで、帰ること、というのが、いつもの約束事。

ご飯はおうちで食べること、というのがロロノアさんちの掟なのだ。

「流しとけあんなの」

「おれの苦労しらねーの!」

「・・アイス食いながらじゃ自転車乗れねーじゃん」

「じゃあゾロそっちもっておれこっち」

海の音のしない、街の夕暮れを、アイスを食べながら、自転車を引く。

ゾロとおれと、右と左で半分ずつ、持って引っ張って歩く。

「うおーぜんぜん真っ直ぐいかねー」

「おまえが強すぎんの」

「おまえが合わせろよ」

「まっすぐまっすぐ」

「むりむりむりむりむり」

自転車はどこまでも眠たがりのヘビみたいにうねうねして言うことを聞かない。

笑いすぎてアイスを食べる暇がない。

溶けて、指をソーダ味の水がたれて行く。

ひとあし先にアイスを食べ終わったゾロがまたがって、乗れ、とあごをしゃくる。

「アイス落ちるかも」

「落としたら殺す」

くらくら不安定なまま片手だけでゾロに捕まった。

夕暮れはもうすぐ終わる。

夜になれば街は、夜の匂いのする粉を振りまいて、キラキラとそこらじゅうを輝かせる。

「あ」

アイスがたれて、ゾロの首すじをぬらした。

「つめて」

「ごめん」

「ころーーす」

洋服の中にまでたれて行きそうで、あわてて舌を伸ばした。

日焼けしてところどころ皮のむけた首に、水色のしずく。

ざらついていて、あまい。

「なにした、いま」

「ヒナちゃんのマネした」

ヒナちゃんはいつもだんゆうさんの体を舌が痛くなりそうなくらいに舐めたり、

べろべろって、舌を合わせたりしている。

お仕事ってのは、大変だ。

「まじ?」

つうかおれ見れねーじゃん、そう言って自転車を漕ぐゾロが後ろを向いたので、

自転車がまたヘビのようになった。

「前!前見て、前」

「落としたら先言えよ」

前を見たゾロがまた言った。

「もう落とさないよ」

「いいから言えよ」

「言ってどうすんの」

「見る」

「見れないじゃん」

「気合で見る」

「すげー」

「やべ、半になんじゃん」

時計を見て、ゾロが慌てた。

「飛ばすぞ」

突然ロロノア号はマッハのスピードで街を進んで行く。

くらくらと不安定に揺れながら、片手で肩に必死に捕まった。

「マッハ?」

「マッハ」

「いまマッハ?」

「超マッハ」

畳み屋さんの看板が見える。

向かいの通りをスモーカーさんが歩いているのが見えた。

「あっ、スモーカーさんだ」

飛び散った水色のしずくが、夕焼けの光に照らされる。

溶けたアイスを持った手を、振った。

でもきっと、星よりはやく街をかけ抜けるおれたちの姿に、

スモーカーさんは、気づかなかったにちがいない。

 

 

足の爪にマニキュアを塗るヒナちゃんがぽつんと、おかあさんに会いたいなあ、と言う。

「だってあたしの爪、おかあさんにそっくり」

マニキュアを塗るのをやめないヒナちゃんが、なんてね、と笑った。

でもきっともうだめだなー、ひどいこといっぱい言ったし、と

つぶやくヒナちゃんの髪は、蛍光灯にてらされて黄色っぽい。

洗面所に作られた小さな王国でヒナちゃんはひざをかかえる。

「でもさ、あんなにだめな人だったけどさ、DNAだけは最強だよね」

足の爪をふーふーしながらヒナちゃんが、ね、と俺を見る。

「そのおかげでこんな部屋住めちゃうんだし」

「こんな部屋」は2人には大きすぎて、うるさい音楽も、するする壁に吸い込まれて行く。

小さな王国だけが、いまのふたりの居場所なのだ。

油断してはいけない。

だってそのうちぱっかり口を開けた白くてきれいな壁が、

ヒナちゃんもおれも、飲みこんでしまうかもしれないんだから。

 

 

決心をした。

強くてやさしくてさみしがりやの、ヒナちゃんのためにおれが出来ること。

思いつくのはたったひとつだった。

 

 

 

11時をすぎたあたりから、もうそわそわと落ちつかない。

「次、これやろー、これ」

ああ、という返事にも身が入っていない。

「ねえ、まだ帰らないでいてくれるよね?」

ひとりはさみしいんだよー、という念をこめて捨てられたアヒルみたいな顔で言ってやった。

「・・・・ああ」

そう返事をするスモーカーさんの顔が、完全にまいってる。

ごめんね、困らせたいわけじゃないんだ。

作戦は次の通り。

いつもお世話になっているから、夕ご飯をごちそうさせてください、

ぼくお料理が得意なんです、それにおねえちゃんがお仕事でいっつも夜が遅いの、

ひとりで食べるのはつまんないとかなんとか言って、スモーカーさんを拉致る。

事前調査の結果、テーブルの上にならんでいるのはスモーカーさんの好きなものばっか。

感動するスモーカーさん。

すごいなあ、ぜんぶひとりで作ったのかい?

そこでおれは言う。

「ううん、ヒナちゃんがね、手伝ってくれたの」

なんてウソ。

だけどスモーカーさんは、すごいなあおねえさん、料理がとくいなんだなあとか言いながら、

おれ様特製ディナーでしたづつみをうっちゃうってわけ。

だけど、ドアを閉めたら最後、なんとそのドアは

ヒナちゃんが帰ってくるまで開かずのとびらになるってスンポー。

おれって天才。

1時をすぎて、スモーカーさんのそわそわは止まらない。

おれはそわそわもそもそお尻を動かしつづけるスモーカーさんに、

クラッシュ・バンディクーのルールを説明する。

うわのそらのスモーカーさんはすぐ負ける。

「スモーカーさんってさあ、やっぱりおかあさんみたいな人が好きなの?」

「は?」

あぐらをかいたスモーカーさんの足は、おれの10倍くらいでかい。

「すきなタイプ」

スモーカーさんが、ビールを缶ごと、ごくりと飲み込む。

「ってなに?」

「・・・近頃の小学生はほんと、ませてるな」

「ねー、教えてよー」

「教えてって言われてもなあ」

ああ、スモーカーさんが困っている。

困っているスモーカーさんはすごい、なんだか、大人のくせに、かわいい。

「あっ、これ、ねー、いっつも思うんだけど、これ、ほんとすごいのかな、欲しいんだよね」

しょうがないので、通販番組の、なんでも落ちる洗剤を指さしてみた。

間を作ってはいけないのだ。

そろそろ帰るというセリフを言わせてはいけないのだ。

「どうだろうなあ」

「ねー、どうなんだろう!」

はいこれどうぞ、とポテチの袋を差し出すと、いただきます、といってスモーカーさんが、

でかい手をそこに突っ込んだ。

スモーカーさんはいつでも、いただきますを言ってからおれのおかしを食べる。

「ほら、ちょー落ちてんじゃん」

「ほんとだな」

縛りでもレイプでもプロレスみたいなもんよー、予定調和の八百長試合よー、

と言いながら納豆をツマミに焼酎をロックで飲む男らしいヒナちゃんも、

ほんとは男の人にやさしくされたがっているのを知ってる。

はやくサンジがおっきくなってあたしより広い肩幅でぎゅってしてくれたらいーのにねー、

なんて冗談を言ってるけど、ちょっと本気なのも知ってる。

おねえちゃんがおとうとに教えてあげるのとかー、おとうとにレイプされちゃうのとかー、

そういうのだけは絶対だめなのよー、なんて言うヒナちゃんを、

ぎゅっとしてあげられるのが大きくなったおれなんかじゃなくて、

スモーカーさんだったらいいのに、って思いながらも

真面目な畳み屋さんと自分が噂をたてられたらスモーカーさんちに

仕事が来なくなっちゃって大変なんじゃないかなんてことを考えてたり、

実はけっこう、自分の仕事を、スモーカーさんの前では恥じていて、

だから声を気軽にかけることが出来ないのも知っている。

そして俺は、そんないじらしいヒナちゃんを任せられるのは、

こんなふうに子供に弱くて、大きな手をして、

肩幅の広い、そしていちいちいただきますなんて言っちゃうような、

スモーカーさんしかいないと思っている。

「魚のレンジのとこの汚れってちょーつえーから、こういうの一個欲しいんだよね!」

スモーカーさんのいかつい肩のラインを見つめて言う。

にくたらしいくらいのたくましいさだった。

そのとき、玄関のドアが、ガチャガチャいって、

ヒナちゃんがただいまーとへろへろな声で言うのが聞こえて、

いまだゆけゆけスモーカーさん!とおれはこっそりつぶやいた。

「あーつっかれたー、アザんなっちゃったよー、見てー、これ、手首」

そんなことを言いながらリビングに入って来たヒナちゃんに、

振り向いたスモーカーさんが、これ以上ないくらいの、

正確な発音と声で、おかえりなさいを言った。

あ、やばいかも、とおれは思った。

そんな声と発音はやばい。

出来すぎだ。

ヒナちゃんはスモーカーさんの顔を見て、

ギャッとひとこと叫んで、そしてとうとつに泣き出した。

ヒナちゃんのからだの中から光っているみたいな、一晩中降りつづけた朝一番の窓から見る、

屋根の上の雪みたいな、白い白い肌に赤い跡がついている。

SMとか、レイプとか、縛られたりひどいことを言われたりしながら

きもちよがらなきゃいけなかった日のヒナちゃんは不安定で、

帰ってきたときだけハイテンションで、そのあとは、おれに背中を撫でられながらずっと朝まで泣いていたりする。

弱虫ヒナちゃんが、ヒナちゃんの中で、大暴れするのだ。

かなしいようと言うのだ。

つらいようと言って泣くのだ。

ヒナちゃんはリビングに突っ立ったままウワーンウワーンと恥かしいくらいに声を上げて泣いた。

ヒナちゃんの気持ちがよくわかっておれも泣きそうだった。

スモーカーさんがリビングに居て、ふつうにテレビとか見ながら、

あんな声でおかえりなさいなんて言ったんだ、泣くなってほうがきっと無理。

ワンワン泣いているヒナちゃんの目元は、

アイシャドウもアイラインもマスカラも黒い涙になって落ちてきて、

それでも泣いたので、もうまるで子供みたいになっていた。

ヒナちゃんのあまりの豪快な泣きっぷりにとまどっていたスモーカーさんが、

その顔を見て、やっぱりご姉弟なんですね、そうしてみるとすごくそっくりだ、

としみじみ言って、ちがうよスモーカーさん、こういう場合抱き寄せて涙をぬぐって

あげなきゃいけねーの、とおれはイライラした。

それからすこしだけ、祈るみたいに思った。

お願いだから、そうしてあげてよ。

ヒナちゃんを、ぎゅってしてあげてください。

そしたら号泣していたヒナちゃんが、プ、と吹き出して、

それからは泣いてたいきおいとおなじくらいに笑い出したので、

スモーカーさんはますますとまどって、時計が3時を過ぎたのにも気づかなかったみたいだった。

そ、そうなのよ、とヒナちゃんは笑いながら言った。

「あたしたちはきょうだいなの。だからあたしはこの子を育てていかなきゃいけないの」

そう言っておれの頭をぐしゃぐしゃにした。

さっきよりもっと、泣きそうになった。

はじめてヒナちゃんが、スモーカーさんの前で自分を恥じることをやめて、

きれいにまっすぐに、胸を張って笑ったのだ。

その顔に、スモーカーさんが、思わず見とれていたのを、おれは見逃さなかった。

そうですか、とスモーカーさんもおだやかに笑って、午前3時のリビングで、もしかしたら

これからはヒナちゃんはがんばりすぎなくてもいいのかもしれないとおれは思った。

紙せっけんみたいにならなくて、すむのかもしれない。

気をきかせて外に出ようとしたら、子供のくせにこんな夜中にどこ行くの、とおねえさんぶった

ヒナちゃんが真っ赤な目でまともなことを言って、それから小声で、おねがいだからどこにも

いかないでここにいて、とささやくように言うので、なんでスモーカーさんにそれを言わないかなあ、

と思いながらヒナちゃんにもガリガリ君買って来てあげるよと玄関を飛び出した。

朝をむかえるために、あと少し、そこにとどまろうとして街をおおう夜の、

その匂いをたたえる空気が寄り添ってきておれを包む。

いまごろヒナちゃんの部屋はAVみたいなことになってんのかもしれない。

見上げた濃紺の空に、ぷぷ、と吹き出した。

ゾロの部屋の窓を叩くと、うるへー、とねぼけながらも中に入れてくれたので、

ヒナちゃんのしあわせについてをまくしたてたら、うるへー、とむりやり布団に押しこまれる。

「寝ねえと追い出す」

タオルケットにぐるぐる巻きにされて、しぶしぶ目を閉じた。

おれはまたヒナちゃんがスモーカーさんとAVみたいなことを

している様子をまぶたの裏っかわで想像して、あったかい気持ちになった。

背中にあたる、きっとさっきまでゾロのいた場所がぬくぬくとして、

目を閉じたゾロはもう寝息をかいている。

空はしだいにその青の色を薄らげて、やがて新しい朝をむかえるだろう。

 

 

 

おわり